岡 寺
おかてら

東光山真珠院龍蓋寺
真言宗豊山派
所在地
奈良県明日香村岡

御本尊 如意輪観音坐像
由  緒
天平十二年(740)七月の写経所啓(正倉院文書)に岡寺の寺名が見えるので、当時すでに存在していたことが知られる。創建については、七世紀末から八世紀前半に僧義淵が国家隆泰・藤原氏栄昌のため、草壁皇子の宮地を寺としたのに始まると考えられる。奈良中期には、東大寺社経所と関係を持ち、また天平宝字六年(762)四月には封50戸を施入されている(続日本紀)。新薬指示・ヘッケ・招提・弘福・本元興・崇福・西・海龍王・龍蓋の九寺の安居の講師を請じて、最勝会の立義僧とすることを命じた貞観10年(868)10月4日の太政官符は、平安初期における岡寺の地位を示すものである。しかしその後、奈良興福寺末となり、興福寺僧が別当に任じられた。創建時の伽藍の様子はつまびらかでないが、現在の岡寺境内の西方に続く治田神社の付近に礎石が存在し、白鳳時代の五葉複弁蓮華文丸瓦・葡萄唐草文軒平瓦が出土する所から、同地に伽藍があったとみられる。
平安時代から西国三十三所観音七番霊場としての信仰を集め、江戸時代には貴賤衆庶の巡杖場として賑わった。      -寺院神社大辞典より抜粋-


仁王門

仁王門

大師堂

本 堂

龍蓋池

昔々、明日香村の岡というところに一匹の暴れん坊の龍がいて村人たちを困らせていた。雨のいらない時に急に大雨を降らせたり、田畑に種をまいて芽が出ると、地面を這い回って芽を枯らせたり。
そこである日、村人たちは義淵さんというえらいお坊さんに相談した。「あの龍を何とかしてください」義淵さんは、村人に龍の入れるほどの小池を造らせ、お経を唱えて龍を呼び寄せた。龍は、「よい寝床を造ってもらった」と喜び、その小池の中に入った。義淵さんは「おいおい龍さんよ、もう二度と出てきて暴れるのではないぞ」と言い、法力で龍をその池の中に封じ込め、石で蓋をした。そこでこの池を龍蓋池と呼び、のちにこの池に建てられた寺を龍蓋寺という。
明日香村東の山腹に建つ岡寺(龍蓋寺)。
僧義淵は、のちに仏教界の最高位、僧正に任じられた。奈良時代の高僧行基、良弁らはその弟子。
朱塗りの仁王門を入ると、境内に本堂、開山堂、書院、三重塔など。龍蓋池は今も残る。
三重塔からさらに散策道を上ると、西に明日香の地が一望できる。遠く生駒山、二上山、葛城、金剛の山々。
手前に畝傍山、甘樫丘、橘寺、川原寺跡も。散策道の両側は、初夏は石楠花、秋は紅葉で美しく彩られる。
本堂の本尊、如意輪観音像(奈良時代・国重文)は日本最大の塑像。高さ約4.6m。この観音の御利益を求め、平安時代から巡礼者でにぎわった。
江戸時代、本居宣長の「菅笠日記」に「笈摺の老若男女が詣ですき間もなく、御詠歌を大声でうたう」とある。今もその賑わいは変わらない。
奈良のむかしばなし     文・山崎しげ子

瑠璃井

石楠花

稲荷社

奥之院石窟


しゃくなげ


三重塔
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