飽波神社
あくなみじんじゃ

 旧社格 指定村社
所在地
奈良県生駒郡安堵町東安堵1379

御祭神 主祭神 素盞鳴命 (すさのおのみこと)
末社祭神 三筒男神 (さんつつおのかみ) 住吉神社
天児屋根命 (あめのこやねのみこと) 春日社
天照皇大神 (あまてらすすめらおおかみ) 大神宮社
八王子大神 (はちおおじのおおかみ) 八王子社
由 緒
安堵庄の総社で、江戸時代以降は、東西両安堵村の氏神として崇拝される古社。
聖徳太子が牛頭天王を祀る祠を建てたのが創建と伝えられ、飽波宮のあった場所とする説もある。
秋祭りの雨乞い「なもで」踊り(平成7年に100年ぶりに復活した中世の踊り)が有名。

東安堵南方集落の西部に鎮座する旧指定村社で、須佐之男命を祀る。
享保二十一年(1736)ごろは牛頭天皇社と言っていたと『大和志』平群郡式外紳廟の飽波邑坐神祠に「邑ハ属ニ安堵村(一) 今称(二)牛頭天皇(一)」とある。由緒について同書に「神護景雲元年四月幸(二)飽波宮(一)即此」と神護景雲元年(767)四月二十六日称徳天皇が行幸される『続日本紀』巻二十八の飽波宮とは当社のことだと記している。東南にある極楽寺が当社の神宮寺で、同寺所蔵の藤原期の大般若経はこの社へ奉納されたものである。元和三年(1617)以来の棟札が遺る。鰐口に慶長八年(1635)の銘があるが今は当麻寺に所蔵されている。
社前の石灯籠に寛永十二年(1635)の刻銘がある。宝暦六年(1756)のナデモ踊の扁額や衣装・用具など保存していて、江戸のころ当社に雨乞いの祈願のナムデ踊が行われていたことを示している。天誅組の伴林光平が、文久元年(1861)六月十二日夜当社に参詣むなで踊を見た時の様子を、その神椙帳に記している(『奈良県の地名』)。 
      -奈良県史(神社)より-

神社全景
社殿

表の通りからの景観です。
境内の案内板
境内の案内板

拝殿
拝殿
境内
境内

拝殿の左側
拝殿内からの本殿
拝殿内

正面が本殿
本殿の左右に境内社が並んでいる。
拝殿の絵馬
拝殿内の絵馬
拝殿の絵馬
拝殿内の絵馬
案内札
案内用立札
境内
太子腰かけ石

聖徳太子が黒駒(愛馬)に乗り、斑鳩から飛鳥へ通ったおり、休憩時に腰を掛けたといわれています。
大和の国づくりや十七条の憲法等を思案されたのでしょうか。
―立て案内板より―
本殿
境内外側からの本殿

ブロック塀の玉垣の中に春日造りの屋根が見えます。
 
 
 
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