御霊神社
ごりょうじんじゃ

旧社格 村社
所在地
奈良県生駒郡安堵町笠目字今堀435

御祭神 主祭神 津速彦霊命 (すはやひこのみたまのみこと)
末社祭神 水分神 (みくまりのかみ) 水分神社
火之神 (ひのかみ) 愛宕神社
由 緒
祭神は不祥だが、一説には津速彦霊命とする。由緒も不明だが、以前は牛頭天皇を祭神とし、富雄川治水のための水神を奉祀したものか。境内末社に水神を祭る龍神社がある。神殿は春日造。真言律宗の神宮寺があった。江戸時代には吉田座・南座の宮座があり、座の一老が祭祀を掌った。
     -境内の案内板より-

御霊神社は明治二十五年(1892)の「神社明細帳」によれば由緒は不詳、境内には社殿、拝殿、神饌所、境内神社の竜神社(祭神・時子命)がある。境内坪数1200坪、氏子戸数82戸、境外所有地の耕地があったと記す。
正徳二年(1712)「大和国平群郡笠目村明細帳」によれば、
一、宮 壱カ所     御霊大明神
一、石鳥居       高 七尺三寸 横 七尺
一、寺 六カ所内 三軒者庵
   壱カ所 律宗神宮寺
   是ハ平群郡法隆寺村北室院末寺、右者明神境内ニ而御座候。(下略)とあり、寺内に法隆寺北室院末の律宗寺院神宮寺のあったことがわかる。
 明治初年に出された神仏分離令によって当社内の様子も随分変化している。まず、社僧が還俗を命じられ、代わって宮座の一老が神社の守をすることになった。そして神社内にある仏教に関する、仏像、仏具などが大字内の寺院へ移されている。加えて神宮寺の建物が、「御供所」という名前に変えられている。明治五年「社寺御調書上帳」では当時の神社氏子は「二百六十七人」であったという。氏子域は笠目の中でも富雄川の東側の垣内及び川西垣内で、「新家」と呼ばれる富雄川西側の氏子域は阿波の厳島神社に属している。当社には南座、吉田座と呼ばれる二つの宮座があり、現在でも秋祭りの行事が行われている。文政九年(1826)の「座中仕方算用帳」に吉田座の規定が残されており、
(1)婚礼などの祝事があった座員は座へ三年間振舞を行う。延滞する場合は座へ出銀し、神事用の御供田を耕作する。
(2)宮座が営まれる際、餅などの準備をする。
(3)秋祭り、(旧八月二十四日)に当屋より小判型の餅を用意し、神前へ御酒を上げ、酒代などは座員より60匁づつ集める。(下略)といったものであった。
境内には慶安三年(1650)の石灯籠や百度石、狛犬一対、湯釜などがある。
          ―安堵町史より抜粋― 


境内

広くて、よく手入れの行き届いた神社です。

拝殿の扁額

拝殿から本殿へ

拝殿から

瑞垣の赤と黒のコントラストが神秘的できれいな神社です。

本殿

拝殿

参道

富雄川が大和川に合流する手前の左岸堤防沿いから続く
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