法輪寺
ほうりんじ

妙見山 法輪寺
聖徳宗
所在地
奈良県生駒郡斑鳩町三井1570

御本尊 十一面観音立像
沿 革
法輪寺 沿革(法輪寺大鏡を参考)
法輪寺は、斑鳩の里でも北方にあって、土地の名によって、三井寺とも呼ばれています。三井の地名は古く、聖徳太子が飛鳥の里より三つの井戸を、この地におうつしになったところから起こったと伝えています。
当寺の創建につきまして、一には聖徳太子の御子・山背王がご建立せられたと伝え、『聖徳太子伝暦』並『太子伝補閥記』には、百済開法師・円明師・下氷新物等三人合力して、造寺されたと説いております。伽藍配置は、法隆寺式で、昭和二十五年、石田茂作博士により発掘調査され、法隆寺西伽藍の三分の二の規模であることが判明し、また出土した鐙瓦の蓮華文、宇瓦の忍冬唐草文までが、法隆寺のそれとよく似ています。法輪寺が現在のような規模になりましたのは、江戸時代の正保二年の台風によるものです。伝えるところでは、金堂、講堂、中門、廻廊、食堂等、諸宇、悉く倒壊し、ただ、三重目を吹き飛ばされた三重塔が残ってあったということです。元文二年宝祐上人が、復興に着手され、金堂、講堂等が新しく建てられましたが、昭和十九年に至り、またしても雷火にて三重塔が焼失しました。斯く重なる悲運に遭遇しましたが、昭和の各位のご支援で昭和五十年四月再び甦りました
     -パンフレットよりー


参道からの全景

駐車場

広い駐車場を完備

南門と三重塔

西門と三重塔


三井神社からの景観
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