白山神社(平群)
しらやまじんじゃ(へぐり)

旧社格 指定村社
所在地
奈良県生駒郡平群町福貴1551

御祭神 主祭神 伊弉諾尊 (いざなぎのみこと)
伊弉冉尊 (いざなみのみこと)
御祭神 天児屋根命 (あめのこやねのみこと) 若宮社
由  緒
伊弉諾尊・伊弉諾冉尊を祀っていた福貴寺の神宮寺。明治初めに神仏分離で独立、森垣内の小森神社と栗坪垣内の三十八社神(子守神社)を合祀して福貴大字全体の氏神となる。明治二五年(一八九二)の明細帳には「或云白山大神」とみえる。享保一四年(一七二九)奉納の慈尊山白山大明神の湯釜が伝わる。
白山神社周辺が福貴寺の跡で、慈尊山福貴寺と号し、法隆寺の高僧「道詮律師」の隠居寺として栄え、盛時には六〇坊を数え、境内奥に、中ノ坊・西ノ坊等の塔頭跡が残る。
弘法大師とも信仰があつく、伝燈大師と号して南都七大寺僧綱を兼ね、荒廃した法隆寺夢殿の再建を果たした。その功績から律師像(塑像:国宝)が夢殿の本尊脇に侍している。隠居後も、法隆寺の学僧等の請いを受けて毎年夏期に百ヶ日間三経を講じに往来し、民衆からは「福貴の道詮」と呼ばれて厚く慕われた。境内奥に近世の供養墓が祀られている。
     -案内板より-

北福良集落の西方谷向かいの丘陵麓に鎮座する旧指定村社で、伊邪那岐命・伊邪那美命を祀る。本殿は素木の流造・檜皮葺。
 付近は往古福良寺の塔頭三明院の跡と伝えられ、今も境内に弥勒堂が残存、明治以前の神仏習合の面影が遺っている。当社の左上約10数メートル山手に、福良寺の開祖と伝えられる道栓の墓という石造宝篋印塔がある。傍に十三重石塔があるが、五輪塔残欠を寄せ集めたものとみられる。下方の地輪部の一面に「永禄(庚申)恵伝七月廿四日」の刻銘がある。
 拝殿の右側に宮地があり、社の背後にある上池とともに古来福良畑丘陵の水を集めて、社前を通る三条の水路によって山麓地帯一円の水田を養ってきた池である。ために古来吉新川からの砂持ちやトンド・相撲・神楽などこの神社の信仰に直結した雨乞いや排水習慣があったと伝えられる。かって南北両座の宮講があったが今は一本化されている。例祭は十月十五日(『平群町史』)。
     -奈良県史(神社)より-


神社全景

弥勒堂

福貴寺の弥勒堂


拝殿と本殿

拝殿

ガラス戸の拝殿は始めて見ました。


本殿

覆い屋で保護されていた

若宮

境内の紅葉
時期が少し早かった

境内の紅葉
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