磐船神社
いわふねじんじゃ

旧社格 不詳
所在地
大阪府交野市私市9丁目19ー1

御祭神 饒速日命 (にぎはやひのみこと)
由 緒
『日本書紀』や『古事記』『先代旧辞本紀』などの古い書物によりますと、天孫饒速日尊は天照大御神の御孫紳にあたり、大御神のの御命令により、高天原より天の磐船に乗って河内国河上哮ヶ峯(いかるかみね)に降臨されました。のちに大和国に入り、大和河内地方を開発し建国の礎を築かれ、人々より天津神(天より来られた貴い神様)と崇敬された神様であります。また、饒速日尊が降臨に際して、天空より国土を望まれて、「虚空見つ日本国」と云われた事が「やまと」という国号の始まりとされています。尊は高天原より持って来られた十種瑞神寶(とくさみずのかんたから)により鎮魂祭(たましずめのみまつり)を行い、病に苦しむ人々を助け、死人をも蘇られたと云われ、加持祈祷の根元として神道のみならず修験道、密教、陰陽道からも崇敬されて来ました。尊の子孫は物部氏と呼ばれる古代大和朝廷における最大最強の氏族を形成し、大連として代々の天皇に仕えており、ここ交野の地には肩野物部という一族がおりました。
当神社は、饒速日尊が乗って来られた天の磐船を御神体として祀り、古来より天孫降臨の聖地として崇敬されています。当神社の創祀年代は詳らかでありませんが、磐座信仰と云う神道最古の信仰形体と伝承の内容から、縄文から弥生への過渡期まで遡ると考えられております。その後、物部氏を中心として祭祀が行われていましたが、物部氏本宗の滅亡後、山岳仏教や住吉信仰などの影響を受けるようになり、平安時代には『北峰の宿』と呼ばれ、生駒山系の修験道の一大行場として変貌を遂げるに至り、境内には四社明神の石仏や、不動明王像が祀られ、弘法大師の作とされる磐船和讃が伝承されています。今でも神仏習合を色濃く残しており、例大祭には護摩壇を設けて大火焚祭が行われています。また、当社大岩窟は、古来より行場として知られ、現在でも多くの行者や拝観者が訪れます。
おもな境内摂末社
行場岩窟 白龍社 黒龍社 金龍社 白水社
四社明神 大日如来 観音菩薩 地蔵菩薩 勢至菩薩(住吉四紳) 鎌倉時代
不動明王 「天文十四年十二月吉日勧請開白大蔵坊法印清忍」の銘あり 室町時代
磐船稲荷 稲荷大明神
例祭 春季例大祭  五月五日
夏越大祓 六月二十九・三十日
奉斎会大祭 九月下旬
     -境内の由緒板より-


神社入口

旧国道168号線と天野川に沿って鎮座。

御神体と社殿

岩窟めぐりの入口

御神体の磐船

天野川の上に浮かんでいる。

国道168号と天野川 両方とも新しくトンネルになっている。
この右側に旧の国道と天野川があり、磐船神社がある。
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