高山八幡神社 たかやまはちまんじんじゃ | |||
旧社格 村社 | |||
所在地 | 奈良県生駒市高山町大門12679の1 | ||
御祭神 | 主祭神 | 足仲彦命 (たらしなかつひこのみこと) | |
息長帯比売命 (おきながたらしひめのみこと) | |||
誉田別命 (ほんだわけのみこと) | |||
御祭神 | 仁徳天皇 (にんとくてんのう) | 若宮神社 | |
桓武天皇 (かんむてんのう) | 神倭磐余彦神社 | ||
天照皇大神 (あまてらすすめらおおかみ) | 天照大神社 | ||
高良玉重命 (こうらたましげのみこと) | 高良玉重神社 | ||
玉依姫命 (たまよりひめのみこと) | 玉依姫神社 | ||
三筒男命 (さんつつおのみこと) | 住吉神社 | ||
三綿津見命 (さんわたつみのみこと) | 岩船神社 | ||
由緒 | 富雄川上流左岸。大門の集落北端に鎮座する。旧村社。 創祀について『和州寺社記』は天平勝宝元年(749)十二月十八日、東大寺へ宇佐八幡を勧請した時、平群郡で奉迎したという『続日本紀』巻十七の記事を当社にあてて「そのかりの社今にあり、末社も三社まします。山内は方三町、里人氏神とあかめ奉る」とある。当社は平群郡でなく添下郡に属していたが、『大和志』は添下郡「式外」の神祠として「八幡神祠 在高山村 天平感宝元年十二月 迎宇佐八幡神於平群郡 即此」とこの説を採っている。中世にはこの地の土豪鷹山氏の武神として尊崇された。 本殿は三間社・流造・檜皮葺で室町末期の特色を残している。「上棟 元亀三年(1572)壬申今月吉日」から嘉永四年(1851)に至る修理紀年月日を示す棟札二十枚とともに国の重要文化財である。この外、拝殿の棟札に永禄九年(1566)檀主鷹山藤光と記されているが、鷹山氏は天正五年(1577)筒井氏に攻められ没落、無足人となって茶筅製作を業とするようになったと伝える。以後無足座と呼ぶ宮座を組織、神殿に最も近い所に座小屋を持ち、諸座中最高の位置を誇ったというが、今も存続している。本殿棟札銘に法楽寺・西光寺・上坊・中坊などみえるのは当社の神宮寺ともみられる。富雄川対岸の法楽寺に木造僧形八幡・同神功皇后像を安置するが、元当社の紳像と伝えている。 例祭は十月十五日。 -奈良県史(神社)より- | ||
神社入口 左側が駐車場です。 | |||
鳥居横の狛犬 | |||
境内の参道 | |||
社殿前の階段 | |||
境内より | |||
鳥居からの社殿 階段を上り、境内広場の社殿を最初に見る風景です。 | |||
本殿 | |||
本殿横の境内社 | |||
境内の社殿 |