須我神社
すがじんじゃ

旧社格 県社・式内小社
所在地
島根県雲南市大東町須賀260

御祭神 御祭神 須佐之男命 (すさのおのみこと)
奇稲田比売命 (くしいなたひめのみこと)
清之湯山主三名狭漏彦八島野命 (すがのゆやまぬしみなさろひこやしまのみこと)
相祭神 武御名方命 (たけみなかたのみこと)
末社祭神 足名椎命 (あしなづちのみこと) 御租神社
手名椎命 (てなづちのみこと)
天照大御神 (あまてらすおおみかみ) 社日神社
菅義綱公 (すがよしつなこう) 義綱神社
  海潮神社
  若宮社
  虚空社
  弁護荒神社
由 緒
古事記(和銅五年・西暦712年)所載=肥河上で八俣遠呂智を退治せられた須佐之男命は、宮造るべき所を求めて此処、出雲国須賀の地においでになり、「吾此地に来まして、我が心須賀須賀し」と仰せになって、此地に宮殿を御造りになりましたが、其処より美しい雲が立ち騰のを御覧になり、「夜久毛多都、 伊豆毛 夜幣賀伎 都麻碁微爾 夜幣賀伎都久流、 曽能夜幣賀伎袁」 ”八雲立つ 出雲 八重垣 つまごみに 其の八重垣を ”の御歌を御詠みになりました。
即ちこの宮が古事記・日本書紀に顕れる日本初之宮であります。そして、ここが三十一文字和歌発祥の地であり、この御歌の出雲が出雲の国の国名の起元でもあります。又須佐之男命と奇稲田比売命の間の御子神が清之湯山主三名狭漏彦八島野命、この三神が当社の主祭神であります。
出雲風土記(天平五年・西暦733年)では此処を須我神社、須賀山、須我小川等の名に表現され、風土記抄(天和三年・西暦1683年)には須我村とあり、須賀は広くこの地方の総称であったことがうかがわれる。 須我小川の流域に、かつて十二の村があって。この須我神社は、この地方の総氏神として信仰されていたものであり、また、須我山(御室山、八雲山)の山ふところには巨岩夫婦岩並びに小祠があり、須我神社奥宮(磐座=いわくら)として祭祀信仰されています。 合殿の武御名方命は天文年中、当地(淀之荘)地頭職として神(みわ)中沢豊前守が信州諏訪より来任されたとき、その氏神武御名方命の神霊を勧請してこの須我神社に合祀し、諏訪大明神として崇敬せられた。以来村名も諏訪村と改められていましたが、明治二十二年、元の地名の須賀に復し現在に至っている。 明治二十五年十一月八日、元の島根県社に列せられた。
     -神社案内書より-


神社附近

須我神社は、左側家の向こう側にあります。
手前の駐車場が、利用できる

神社入り口

鳥居の後ろに由緒案内板

境内

社殿は境内の広場より一段高いところに総て祭られている。

拝殿前の狛犬

本殿

本殿

海潮神社

奥に若宮神社

境内の稲荷・秋田・火守・琴平・木山の五社を若宮神社に合祀

海潮神社

海辺(うはた)神社(小畑)
大石神社(本郷)
山之神神社(引坂)
天神神社(八所)
を明治四十四年移転合祀

弁護荒神社

御祖神社・社日神社

この上に祀られているらしいが、雨が降っているので行くのを止めた。少し残念だ。

拝殿前からの髄神門
下に県道24号線が見えている

社殿の左端に鎮座の虚空社この左側は、普賢院です。
inserted by FC2 system