八重垣神社
やえがきじんじゃ

旧社格 県社・式内小社
所在地
島根県松江市佐草町227

御祭神 主祭神 素盞鳴尊 (すさのうのみこと)
稲田姫命 (いなだひめのみこと)
相祭神 大国主命 (おおくにぬしのみこと)
青幡佐久佐彦命 (あおはたさくさひこのみこと)
末社祭神 脚摩乳命 (あしなづちのみこと) 脚摩乳社
誉田別命 (ほんだわけのみこと)
手摩乳命 (てなづちのみこと) 手摩乳社
天照大神 (あまてらすおおみかみ) 伊勢宮
大山祇命 (おおやまつみのみこと) 山神社
石長姫命 (いわながひめのみこと)
不詳  貴布禰社
稲田姫命 (いなだひめのみこと) 天鏡神社
由 緒 
神社創立と朝廷、国司、藩主の崇敬
 神社の創立は遠く太古でありまして、素盞鳴尊が八岐大蛇を御退治後、須賀の里より更に姫命の御避難地であった佐草の現在地に官造りされ 「八雲立つ出雲八重垣、妻込めに、八重垣造る、その八重垣を」 との御歌の八重垣をとって八重垣の宮とされ、此処で御夫婦生活を始められた所であり我国の縁結びの大祖神、家庭和楽、子孫繁栄の大神、和歌の祖神とし、又一面災難除け、国家鎮護の守護神として、第六十四代円融天皇の御代には全国に三十の社を選定され三十番神と称して崇敬されました。山陰道では当社と出雲大社の二社で御由緒、御神徳高い神国出雲の名社であります。また御神階も四回昇叙の社は出雲では出雲大社、熊野大社、当社の三社で他に類例のない格別の社で白河天皇、承暦四年六月社司に中祓の儀を命ぜられる等、朝廷の御崇敬社で爾来出雲国司代々神領を寄進され、神主、佐草家以下三十三人の下社家、神宮寺、宮大工、宮そま、宮百姓等数十人奉仕し社頭の宏大、結構、近郷に比類なしと当時の古書 「懐橘談」 にも記されています。又松平藩主名残りの参拝社も当社と出雲大社、城山稲荷神社の三社で分霊を東京麻布の別邸に奉斎されたことや、吉川広家、富田の月山城に入城され、杵築大社と当社の二社に治国平天下、子孫繁栄の祈願をされ、大社へは銅鳥居、当社へは金覆輪の鞍置いた聡馬の寄進があった等、藩主武将の崇敬が他社と異っていた事が知られます。従って朝廷、国司、藩主、武門武将よりの奉納された御社宝も相当あります。
     -案内パンフレットより-


鳥居の右側にある案内図

車道の反対側から

拝 殿


狛犬

相当に古いものらしい
顔がわからなくなっている。


社殿全景

本殿

やはり若い女性が多いようだ

境内社

拝殿の左側

山神神社

境内社

脚摩乳社・伊勢宮

夫婦椿

社殿とは道路を隔てた反対側に、この奥も駐車場のようだ。
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