耳成山口神社
みみなしやまぐちじんじゃ

旧社格 郷社・式内大社
所在地
奈良県橿原市木原町耳成山490 (耳成山東中服に鎮座)

御祭神 主祭神 大山祗神 (おおやまつみのかみ)
高皇産霊神 (たかみむすびのかみ)
末社祭神 金山彦命 (かなやまひこのみこと) 金刀比羅宮
琴姫大神 (ことひめおおかみ) 稲荷神社
由 緒
耳成山(139.7メートル)東中腹に鎮座。祭神大山祇神・高皇産霊神。旧郷社。「延喜式」神名帳十市郡の「耳成山口神社(大、月次新嘗)」に比定される。天平二年(730)に耳梨山口神戸の租稲53把を定めて四束を祭紳料にあて(「大倭国正税帳」正倉院文書)、大同元年(806)耳无(ミミナシ)神に紳封一戸があてられた(新抄格勅符抄)。天安三年(859)一月二十七日、従五位下より正五位下に昇叙、同年(貞観元年)九月八日、雨風祈祷のため奉納され(三代実録)、「延喜式」臨時祭の祈雨紳祭八十五座の一であった。中世には天神社と称したため耳成山も天神山といわれ、新賀・北八木・石原田・常盤・葛本・山之坊・木原各村(現橿原市)の氏子が天神山郷を形成。慶安四年(1651)山之坊村民が神木を伐り荒らしたので他六カ村との間に入会をめぐる山論が長く続き、当社は常に争論の中心に立たされた。元禄十五年(1702)神社は焼亡、氏子によって造宮されたが、遷宮に関して粉糾、天満宮と改名する事態も惹起したが、宝永二年(1705)「耳成山天神ハ式内之社耳無山口神社」とすることで落着(平田家文書)、祭祀は郷中が回りしはいすることになった。例祭は10月13日。
     -寺院神社大辞典(大和・紀伊)より-


耳成山周回道路からの神社入り口の鳥居

境内からの拝殿


拝殿内部と奥に本殿

拝殿に奉納された絵馬

境内の隅に国有林の看板
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