十市御縣坐神社
とおちのみあがたにいますじんじゃ

旧社格 村社・式内大社
所在地
奈良県橿原市十市町1番地(奈良県自動車運転免許試験場の北東500m位)

御祭神 主祭神 豐受大神 (とようけおおかみ)
相祭神 市杵島姫命 (いちきしまひめのみこと)
末社祭神 菊理日女命 (きくりひめのみこと) 五社神社
熊野大神 (くまのおおかみ)
春日大神 (かすがおおかみ)
大日霊貴命 (おおひるめむちのみこと)
廣幡八幡大神 (ひろはたはちまんおおかみ)
高皇産霊神 (たかみむすびのかみ) 四柱神社
神皇産霊神 (かみむすびのかみ)
天御中主命 (あめのみなかぬしのみこと)
天照皇大神 (あまてらすすめらおおかみ)
衣通郎女 (そとおしのいらつめ) 玉津島神社
素盞鳴命 (すさのおのみこと) 八坂神社
大物主命 (おおものぬしのみこと) 金刀比羅神社
品陀和気命 (ほんだわけのみこと) 廣幡神社
由 緒
御創建年代は不祥であるが、清和天皇貞観元年(皇紀一五一九年・西暦八五九年)正月二十七日概に従五位上の神位を授けられており高市葛木十市志貴・山邊・曽布と大和國六御縣神社の一座として朝廷の尊崇厚く醍醐天皇延喜には大社に列し、祈年・新嘗・月次の安上官幣に預かり、又古この地方は朝廷の御料地で守護神として蓻菜の生育を祈願せられ庶民より農業の神として廣く信仰をあつめ年俗に十三社明神と称された
     -境内の案内板より-

寺川北岸に鎮座。豊受大神に市杵島姫命を合祀。旧村社。近世には十三社明神と称し(棟札)、社伝では「古事記」考霊天皇段の十市県主の租大目を祭神とする。「延喜式」神名帳十市郡の「十市御縣坐神社(大、月次新嘗)」に比定(大和志)。式内十市御縣坐神社は大和六県の一である十市県に鎮座し(「延喜式」祈年祭祝詞)、天平二年(730)神戸の租稲一千七十二束のうち四束が祭紳料にあてられ(大倭国正税帳)、大同元年(806)紳戸二戸を寄せられた(新妙格勅符抄)。天安三年(859)一月二十七日、従五位下より従五位上に昇叙(三代実録)。社蔵棟札には神宮寺と思われる「籐楽寺」のじめいがみえるが、元亀三年(1572)の補厳寺納帳(補厳寺文書)には「字スモモ 一段 殿ヨリ宿院ヘ御寄進 東楽寺地作神田」とあり、当社西方に字李が現存する。境内には大日堂があったが、明治初年の廃仏毀釈で本尊は南西方の正覚寺へ移された。正覚寺は通称南坊といわれ、小堂と庫裏を残すだけの廃寺で、本堂を阿弥陀堂と称した。「大乗院寺社雑事記」寛正三年(1462)二月十一日条に、十市正覚寺が本尊として元興寺極楽坊(現奈良市)の丈六阿弥陀如来像を所望し、許されたことが見える。堂内には大日堂から移した大日如来(平安後期)を安置。ほかに平安前期の地蔵菩薩立像(県指定文化財)、梵天とみられる立像(平安前期)を蔵する。
     -寺院神社大辞典(大和・紀伊)より-

十市御縣坐神社全景
神社全景

大神神社の西方にあり、寺川の支流右岸に鎮座 幹線道路からは、少しはなれて、わかりにくかった。昔の大神神社への参拝道沿いにある感じだ。
神池と鳥居

神池と鳥居
境内の鳥居と拝殿
境内の鳥居と拝殿
境内の由緒
境内の由緒書
歌碑
境内の歌碑
境内と拝殿
拝 殿
本殿
玉垣と本殿

本殿は桧皮葺の春日造り
四柱神社
境内末社の四柱神社

御祭神 天御中主命
高御皇産霊神
神御皇産霊神
天照皇大神
境内末社
境内末社

廣幡神社
八坂神社
玉津島神社
金刀比羅神社
五社神社
境内末社 五社神社

菊理日女命
熊野大神
廣幡八幡大神
春日大神
大日霊貴命
十三社明神の灯籠
拝殿前の十三社明神の灯籠
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