鳥坂神社
とりさかじんじゃ

旧社格 村社・式内社
所在地
奈良県橿原市鳥屋町1160

御祭神 豊受比咩命 (とようけひめのみこと)
境内末社 八王子神社
大上神社
山王神社
厳島神社
大木神社
八坂神社
住吉神社
春日神社
由 緒
近鉄橿原神宮駅西出口から1.4キロメートル、鳥屋集落の東に鎮座する。創祀年代は明らかでないが、『延喜式』神名帳に登載の鳥坂神社に比定されている。
祭神について『五郡神社記』に左、高皇産霊命・右、天押日命とあるが、『日本書紀』神武天皇の二年に天皇が大伴氏の祖道臣命の功を賞されて宅地を賜って築坂邑に居らしめたとあるが、道臣命はこの地に神符をつくって自らの二祖紳である高皇産霊神とその子の天押日命父子を祀ったのがはじめだという。「つきさか」とは「衝坂」または「桃花鳥坂」といわれたと『山陵志』にあり、今の鳥坂町付近を指している。『大和志』には当社が鳥坂村の東に鎮座、天照大神を祭神とするとあるが、概に江戸初期に天照大神を祭神としたことは、当社保存の棟札に「寛文元暦(1661)八月吉日天照皇太神宮」と記されていることでわかる。数年前まで当社に保存されていたという御湯釜にも「天照大神御湯釜 寛文十三癸丑九月十一日和州高市郡鳥屋村」と陽刻されていたという(高市郡神社誌)。それが明治以来祭神豊受比咩命になり、明治の『明細帳』や昭和の『宗教法人法による届出書』の祭神名となった。『延喜式』神名帳に二座と記され、現在の本殿が二間社の形式を伝えている点からも、大伴氏の二祖紳を祭神とするのが至当でなかろうか。
高皇産霊神は国土経営に、その子天押日命は天孫降臨の際大功あり、道臣命もまた大伴部を率いて神武天皇の東征を授けて功績のあった神であることは、『記』『紀』に記されて明らかである。
例祭は十月十六日の夜宮祭と十七日の本宮祭のほか、三月十一日の春祭、十二月十六日の算用祭がある。宮座は一座で、十月十六日・十七日に座祭りを行うが、千本搗や大注連縄の勇壮な神事で名高い。延宝九年(1681)以来の宮座文書も保存されている。
     -奈良県史(神社)より-


参道からの鳥居

小高い丘の上なので、橿原市内・畝傍山の西側が眼下に見えます。

拝殿

拝殿からの本殿

本殿は拝殿からでないと見えません

周辺の境内社

石柱が建っていてすべて境内社だそうです。

拝殿の左右に石燈籠とともに多くの境内社が祀られているが、通常の祠でないので異様な感じです。
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