葛木二上神社 かつらぎふたかみじんじゃ | |||
旧社格 郷社・式内大社 | |||
所在地 | 奈良県葛城市染野691(二上山山頂) | ||
御祭神 | 豊布都霊神 (とよふつのみたまのかみ) | ||
大国魂神 (おおくにたまのかみ) | |||
由 緒 | 二上山(雄岳)山頂に鎮座の神社を式内大社に比定され、豊布都霊神と大国魂神 を祀る。『三代実録』貞観元年(859)正月二十七日に神階従五位下から従五位上に昇叙され、『延喜式』神名帳には、大社に列せられている。『大和志』に、権現と称したとあるが、中世以降は当麻寺が祭祀を掌っていたとみられる。当麻寺中之坊所蔵の「当麻寺付近絵図」にも雄岳の神社を二上山権現、雌岳の祠を神蛇大王と記している。明治初年の神仏分離まで、当麻寺がこの社の別当寺であった。 『西国名所絵図』に、例年三月二十三日の祭典には、「薩州の修験者が当麻寺の僧侶とともに、護摩供を修法す。是、近村より請じて、五穀成就の祈りをなすと聞ゆ。此日は山上にて酒の上温、肴の煎売、或は覗き、からくり、放下師なんど出て賑わし、隣村の老若男女嶮岨をこととせず登りて群集す。此の旬の法会というべし」とある。 古来岳郷と称した山麓六六か村の神体山と仰がれ、この日岳上りの風習があった。旱魃続きの時には、岳郷の人々によってこの社に雨乞いが行われたが、「岳の神様のぼりがおすき、のぼりもてこい、雨ふらせ」と口々に叫んで山頂を目指したとのことである。 社前に近く大津皇子の墓がある。 -奈良県史(神社)より- | ||
神社案内板 | |||
社殿 拝殿・本殿もない | |||
正面からの社殿 | |||
御神木 本殿の代りに神木 | |||
社殿横の経塚 | |||
大津皇子の墓 山頂の神社から十メートルほど下にあります。 |