大坂山口神社(穴虫)
おおさかやまぐちじんじゃ(あなむし)

旧社格 指定村社・(式内大社)
所在地
奈良県香芝市穴虫1580

御祭神 主祭神 須佐之男命 (すさのおのみこと)
大山祇命 (おおやまつみのみこと)
天児屋根命 (あめのこやねのみこと)
末社祭神 金山彦命 (かなやまひこのみこと) 琴平神社
道主貴命 (みちぬしむちのみこと) 市杵島神社
由緒
二上山北方の独立小丘北麓に鎮座。往時の大坂越えの一である穴虫街道に面する。旧村社。祭神 須佐之男命・大山祇命 ・天児屋根命 。「延喜式」神名帳葛下郡の「大坂山口神社(大、月次新嘗)」とされる(大和志)。北東約800メートルの香芝市逢坂にも同名の社がある。大和国には十四の山口社が鎮座し(延喜式)、一般に大山祇神を奉斎した。大坂山口神社は天安三年(859)一月二十七日、従五位下より正五位下に昇叙、同年(貞観元年)九月八日には風雨祈願のため奉幣(三代実録)、祈年祭には馬一匹を加えられ、祈雨祭神八五座の一であった(延喜式)。「日本書紀」崇神天皇九年三月十五日条、同四月十六日条に、黒盾八枚・黒矛八竿をもって「大坂神」を祀らしめたことが見えるが、これは大坂山口神とは別とする説が強い。
近世には牛頭天王社・祇園宮と称し、社前には神宮寺威光庵があった。当社は寛永二年(1625)以来の棟札を蔵し、それらにはほとんどが背後の山の石巌を掘削して境内を広くしたと記され、金剛砂貢納と関連するものと推察される。遷宮導師として金剛山転法輪寺(現奈良県御所市)・多武峯寺・紀州高野山の塔頭や、当地の祇園宮寺(威光寺のことか)の僧名がみえる。文化十三年(1816)の棟札に初めて大坂山口神社と記され、また明和(1764-72)頃に出土した威奈大村墓誌に大村が「葛木下郡山君里」に埋葬されたとあるのが影響したものと思われるが、「平田庄山君里穴虫馬場」と記す。威光庵はもと神社後方にあり、無本寺で宗派も不明であったが、明和四年に大道村(現大阪市)の大道寺末となり、曹洞宗と定めて社前に移建した。明治初年の神仏分離により廃寺となる。
     -寺院神社大辞典より-


神社入口

住宅がせまり参道が窮屈そうに続いて奥のほうに鎮座しています。

社殿(拝殿)

階段下は広場になっている。

階段横の石燈籠

拝殿の額

拝殿に掲げられている岩井追善奉納の折冠集

拝殿から見た本殿

拝殿から上に見上げる位置です。

本殿

三間社流造の社殿

本殿の周り
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