高鴨神社 たかかもじんじゃ | |||
旧社格 県社・式内名神大社 | |||
所在地 | 奈良県御所市鴨神1110 | ||
御祭神 | 主祭神 | 阿治須岐侘彦根命 (あじすきたかひこねのみこと)(恵毘須大神) | |
阿治須岐速雄命 (あじすきはやおのみこと) | |||
事代主命 (ことしろぬしのみこと) | |||
相祭神 | 下照比売命 (したてるひめのみこと) | ||
天雅彦命 (あめのわかひこのみこと) | |||
摂社祭神 | 天照大御神 (あまてらすおおみかみ) | 東神社 | |
天兒屋根命 (あめのこやねのみこと) | |||
住吉大神 (すみよしおおかみ) | |||
多紀理毘売命(母神) (たきりひめのみこと) | 西神社 | ||
塩冶彦命 (えんやひこのみこと) | |||
瀧津彦命 (たきつひこのみこと) | |||
末社祭神 | 大直日神 (おおなおびのかみ) | 祓戸神社 | |
神直日神 (かむなおびのかみ) | |||
伊豆能賣神 (いずのめのかみ) | |||
底津綿津見神 (そこわたつみのかみ) | |||
誉田別命 (ほんだわけのみこと) | 八幡神社 | ||
事代主命 (ことしろぬしのみこと) | 一言主神社 | ||
猿田彦命 (さるたひこのみこと) | 猿田彦神社 | ||
大物主命 (おおものぬしのみこと) | 聖神社 | ||
宇賀御魂命 (うがのみたまのみこと) | 稲荷神社 | ||
大己貴命 (おおなむちのみこと) | 金刀比羅神社 | ||
素戔嗚命 (すさのおのみこと) | 八坂神社 | ||
豊岡姫命 (とよおかひめのみこと) | 牛瀧神社 | ||
市杵島姫命 (いちきしまひめのみこと) | 市杵島姫命神社 | ||
大山咋神 (おおやまくいのかみ) | 大山咋神社 | ||
御歳大神 (みとしのおおかみ) | |||
健御雷命 (たけみかづちのみこと) | 春日神社 | ||
火雷命 (ほのいかづちのみこと) | 雷神社 | ||
水波能賣命 (みずはのめのみこと) | 細井神社 | ||
高木大神 (たかぎのおおかみ) | 西佐味神社 | ||
高靈大神 (たかおかみのおおかみ) | |||
闇靈神 (くらおかみのかみ) | |||
十二将軍大神 (じゅうにしょうぐんのおおかみ) | |||
由 緒 | 本社は古代豪族の鴨族が発祥の地に奉斎した神社である。 鴨一族は全国各地に開拓移住して、郡名、郷名に加茂の名を伝え、多数の加茂社を祀ったが、本社はそれらの総社に当たる名神大社である。 神話においては国譲りに際し、御祭神の三柱ともにご活躍なされ、また神武天皇の大和平定にも、八咫烏として武勲をたてられた御神徳高きかみにてまします。御本殿はごく菜食の彫刻を持つ室町時代の建築で、県下の神社建築の中でもっともすぐれ、国の重要文化財に指定されている。 寄贈 御所ライオンズクラブ 平成十三年一月改建 境内の案内板より 風の森峠西方、俗称捨篠に鎮座。旧県社。「延喜式」神名帳葛上郡の「高鴨阿冶須岐託彦根命神社四座(並名神大、月次相嘗新嘗)」とされる。阿冶須岐託彦根命以外の三座の祭神については異説が多く、江戸期の宮座文書には下照姫・天稚彦命・田心姫とあり、「大神分身類社鈔」には阿冶須岐速雄命・夷守比売命・天八重事代主命とされている。天安三年(859)一月二十七日の授位では、従二位勲八等高鴨阿冶須岐託比古尼神と正三位高鴨神とを従一位としたとみえる(三代実録)。阿冶須岐託彦根命は大己貴命の子で、伽毛大御神とも称し、大神神社(現奈良県桜井市)の神の分霊として「葛木の鴨の神奈備」に座し、皇租の守護をした神である(古事記、延喜式)。『続日本紀』天平宝字八年(764)十一月七日条に、 復祠(ニ)高鴨神於大和国葛上郡、(一)高鴨神者、法臣円興、其弟中衛将監従五位下賀茂朝臣田守等言、昔 大泊瀬天皇獦(ニ)于葛城山(一)、時有(ニ)老夫(一)、毎与(ニ)天皇(一)相遂争(レ)獲、天皇怒(レ)之流(ニ)其人於土佐国(一)、先租所(レ)主之神、化成(ニ)老夫(一)、爰被(ニ)放遂(一)、(今検前記、不見此事)是、天皇乃遺(ニ)田守(一)、迎(レ)之令(レ)祠(ニ)本処(一)、 とあるが、『日本書紀』雄略天皇四年二月条によると、葛城山で天皇と狩りを競ったのは一言主神である。また「釈日本紀」には不遜の言のあった一言主神を葛城山東麓『高宮岡上』に迎え、その和魂は土佐にとどめて祀らしめたとみえる。しかし「土佐国風土記」逸文には、土佐の高賀茂社の神は一言主尊であるが、一説には味鉏高彦根尊というとあり、一言主神と阿冶須岐託彦根命とは同一視されていたとも考えられる。 当社は俗に高鴨社・捨篠社(旧事本紀)・佐味宮とよばれる。土佐から復祠した翌年の天平紳護元年(765)土佐国に二〇戸、同二年大和国に二戸、伊予国に三〇戸の神戸が充てられ(新抄格勅符抄)、出雲国意宇郡にも神戸を有した(出雲国風土記)。二和元年(885)九月二二日、天下の不詳の事を未然に防ぐために幣を受け(三代実録)、相嘗際には絹八疋、糸十二絇、調布十二反などが寄せられ、酒稲二〇〇束を正税から充当した。後世、佐味庄六カ村(水野・東佐味・南佐味・桜井・神通寺・福西)の産土神となった(大和志)。 -寺院神社大辞典(大和・紀伊)より- | ||
神社入り口 | |||
拝殿と本殿 鴨一族の祖宮として「記・紀」にも登場。 「日本書紀」によると、鴨族の祖先「八咫烏」が、神武天皇を熊野から大和へ道案内したことが書かれています。そして、神武・綏靖・安寧の三帝は鴨族の首長の娘を后とされ、葛城王朝の基礎を作った | |||
拝殿と本殿 本殿は国・重要文化財 | |||
東神社本殿(県指定重要文化財) 祭神 天照大御神 天兒屋根命 住吉大神 | |||
西神社 祭神 多紀理毘売命 | |||
参道から拝殿を見る | |||
入口の案内板 |