熊野三柱神社
くまのみはしらじんじゃ

旧社格 村社
所在地
奈良県北葛城郡広陵町南郷字庄之垣内1007

御祭神 主祭神 伊太邪曽神 (いたきそのかみ)
日前神 (ひのくまのかみ)
日鉾命 (ひぼこのみこと)
末社祭神 面足命 (おもだるのみこと) 多度神社
由 緒
祭神は日鉾神・伊太祁曽神・日前神。日鉾神とは一般的には朝鮮半島新羅国の王子で妻阿加留姫神を追って日本に渡り、但馬国出石に住んだ、但馬守の祖紳とされる神のことだが、一方、天照大神の天岩戸隠れの際に鋳造された日矛神と呼ばれる鏡があり、紀伊国日前国縣神宮の国縣宮の祭神になっている。伊太祁曽神と共に祀られることから、この社の日鉾神は後者の日矛神を指すものと考えてよいだろう。三紳目の日前神とは日前国縣神宮の日前宮の祭神で、天照大神が天岩戸に隠れた際に鋳造された鏡をいい、崇神天皇十六年に現在地に鎮座することになったとされる。三神を祭神とすることはこの社に古くから伝わっていたらしく、享保九年(1724)の「和州御領郷鑑」には、宮地192坪の「記三社」があり、明治元年(1868)の「広瀬社郷中并兼帯神社書上」にも南郷村神社として「記三社」なる社名が書き上げられている。「記三社」のその後は不明だが、斉音字村鎮座の記三上神社とこの「記三社」を同社名と考えるとすれば、記三上神社の祭神の一つが伊太祁曽神であることから、「記三社」とは現在の熊野三柱神社のことになるだろう。斉音字の記三上神社とともに、なぜこの地に紀州系の神々が祀られるようになったのか、興味深いものがある。
  前出明治十二年の「神社明細帳」には一尺八寸四方の本殿、桁行三間四尺・梁行一間四尺の拝殿が記されている。また、明治二十六年(1893)の「神社明細帳」によれば境内社に多度神社があった。この社は前出「広瀬社郷中并兼帯神社書上」には独立した神社として書き上げられているが、後に熊野三柱神社に合祀されたものだろう。
  多度神社は天照大神と素戔嗚尊が「ウケヒ」をした際に生まれた五男三女神の一神天津彦根命を祀る神社で、本社は三重県桑名郡多度町に鎮座する。「延喜式」臨時祭の祈雨神祭に預かる神社ではないが、江戸時代には大和の農民の祈雨信仰の対象になっていた。本町域の村々でも多度神社への信仰があり、天保十年(1839)六月、平尾・疋相・阿部・大垣内四村から雨乞いのため多度社に参詣し、祈祷を受けた記録が残されている。
     -広陵町史より―

神社全景
神社全景

葛城川の左岸で南郷集落の東短に鎮座
境内
境内

正面が拝殿です
拝殿からの本殿
拝殿越しの本殿
本殿
塀越しの社殿
境内の石塔
社殿前の石塔
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