大織冠鎌足神社
だいしょくかんかまたりじんじゃ

旧社格 無格社
所在地
奈良県大和郡山市柳町697

御祭神 藤原鎌足 (ふじわらかまたり)
由 緒
祭神藤原鎌足で『多聞院日記』の天正十六年(1588)四月三日の記事によると、豊臣秀長が郡山城の鎮守として城の東方隅大織冠の東方高地に祀って新多武峯と称したのに始まる。『大和志料』所収の談山神社文書によると大織冠の影像が郡山に遷座後、これに反対した衆徒が、再度帰座を願った所たまたま秀長の病が昂じた天正十八年に秀長の病は大織冠遷座の祟りと称して帰山が許された。一部の衆徒はその後も郡山の地にとどまって大織冠の宮を守護したが、慶長五年(1600)徳川家康の命で本山へ帰山している。その後も郡山で大織冠宮として祀られていたが、宝暦年間(1751-64)現在地へ遷宮されたという。
     -奈良県史(神社)より-


鳥居と参道

郡山城の西北の丘陵地帯に鎮座。意外と広い社域を持つ神社です。

参道

社殿

手水鉢

拝殿

本殿

後方に神社

手前の建物は、お寺のようです。仲仙寺本堂

地蔵尊

鐘楼
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