菅田神社
すがたじんじゃ

旧社格 郷社・式内社
所在地
奈良県大和郡山市八条町一夜松619

御祭神 主祭神 天目一筒神  (あめのまひとつのかみ)
末社祭神 市杵島姫命 (いちきしまひめのみこと) 厳島神社
天児屋根命 (あめのこやねのみこと) 春日神社
由  緒
八条町字一夜松にある。一夜松天神社・八条天神社とも呼ぱれている。菅田比古命を祭神として、『延喜式』神名帳の菅田神社は当神社のことである。菅田比古命は菅田氏の祖と思われ、『新撰姓氏録』に「菅田首天久斯麻比都命之後也」と記されている。近世まで天満天神を祀り、八条村・菅田村・長安寺村の氏神であった。永正10(1513年)以降の宮座記録が残り、同16年の『宮本日記』によると、南講と北講のあったことがわかる。中世では神杜の南側を一夜松南庄・北側を一夜松北庄と呼んでいた。
    -ふるさと大和郡山歴史事典より-

八条町集落西端に鎮座。旧郷社。祭神は天目一筒神。八条天神社または一夜松天神とも称した。『延喜式』神名帳添下郡の『菅田神社』に比定される。しかし八条町は近世まで平群郡に属するため問題も残る。いっぽう同帳の添下郡には『菅田比賣神社二座』もあり、現大和郡山市筒井町の同社名に比定される。両社は対であったと推定される。当社の鎮座地は興福寺雑役免田平群郡一夜松南荘にあたり、近世まで天満天神を祀り、八条村・長安寺村(現大和郡山市)・菅田村(現奈良県天理市)の氏神であった(『菅田村明細帳』天理市二階堂菅田区有文書)。宮座では栄尚10年(1513)から大永3年(1523)にわたる田地寄進状・売券を所蔵し、永正16年の『宮本日記』によると南講と北講があり、大行事・神主・禰宜三人がいて、二段の神楽田があった。神宮寺は天理市二階堂北菅田町の春日神社西方にあったと伝える一夜松金琳寺と推定されており、当社の元和5年(1619)再建を記念した石燈籠には『一夜松金琳宮』と刻す。なお金工神を祭神とするのはスガタ(姿)の社名に付会したものであろう。
    -寺院神社大辞典より-


一の鳥居

正面の道のはずれに社殿がありました

神社入口

神社入り口手前の菅田氏の石碑

境内

拝殿

拝殿内

奉納
一夜松(幹表皮部分)

祓戸大神

百度石

社殿

境内社
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