平等院
びょうどういん

朝日山
天台浄土系の単立寺院
(世界文化遺産)
所在地
京都府宇治市宇治蓮華116

御本尊 阿弥陀如来坐像
由 緒
平等院は、永承七年(1052)俗に言う末法初年、時の関白藤原頼道によって父道長の別荘を寺院に改め創建されました。平安時代中期、王朝文化が花開き高い美意識が高揚された時代です。その翌年の天喜元年(1053)阿字池を中心に阿弥陀如来を安置する阿弥陀堂(国宝)が建立されました。それが鳳凰堂で、経典に描かれる浄土の楼閣をイメージした、優美で軽快な建物です。
周囲に広がる(極楽の宝池を模した)阿字池は、宇治川や対岸の山々を取り込んだ雄大な借景とともに、名園として名高い史跡名勝平等院庭園を形づくっています。創建期は、風光明媚な宇治の地の多くが境内として、阿弥陀堂のほか金堂、講堂、法華堂、宝蔵などの多く堂塔が立ち並んでいました。
現在園内には頼政自害の地として有名な扇ノ芝や、観音堂(重文)、鐘楼、羅漢堂(市指定)などがあります。また、文献や発掘調査に基づいて鳳凰堂周辺には州浜が復元され、そこに架かる平橋・反橋や小島も整備されています。
平等院には、平安時代の多くの文化財が伝えられています。当時最高の仏師定朝のものとして唯一確定できる阿弥陀如来坐像(国宝)や、現存する日本最古の大和絵風九品来迎図(国宝)、「天下三名鐘」の一つとして有名な梵鐘(国宝)一口、鳳凰一対(国宝)などのほか、発掘出土品、日本最古の参詣巡礼札や文書など歴史的遺産が重層的に残っています。
特に11世紀の仏像郡として唯一伝来する国宝雲中供養菩薩五十二躯(内一躯が未指定)は、いずれも飛雲上に乗り、頭光(輪光)を負い、様々な楽器を奏でたり、持ち物を執ったり、印を結ぶもの、合唱したりしているものなど、伸び伸びと繊細に彫り上げられています。
     -参拝のしおりより-


門から鳳凰堂までの庭園

鳳凰堂横の藤棚

反橋と平橋

鳳凰堂の建築
平等院の中心的な建造物である阿弥陀堂が、鳳凰堂と呼ばれるようになったのは、江戸時代の始めの頃です。建物全体が鳥が羽を広げた形に似ていることや、中堂の屋根の飾りとして一対の鳳凰がとりつけられていることから名付けられたとされています。鳳凰堂は、本瓦葺で、中堂は単層入母屋造で正面三間、側面二間の母舎のまわりに一間の喪階をつけ、喪階を含めて正面14.2メートル、側面11.8メートルあります。左右の翼廊は切妻造で、南北に五間づつのび、さらに東に三間折れ曲がっています。この翼廊の二階部分は、実用的な意味はなく、中堂の持つ重量感を左右にそらし、全体的なバランスの中で軽快さと優美さを生み出すことに大きな役割をはたしています。後方に向かってのびる長さ18.4メートルの尾廊は、創建当時には翼廊と同じく土間で、後方の建物への通路として作られました。後の時代に改修されて板敷きとなり、花頭窓が取り付けられて現在に至っています。
阿弥陀堂の建立は、奈良時代の頃よりはじまったと言われています。現存する建築には宝形造が多いのですが、鳳凰堂の場合は、本尊後壁に鳳凰堂に似た建物が画かれているように、感無量寿経に説かれた西方極楽浄土の阿弥陀如来の宮殿を模したものと考えられています。
-参拝のしおりより-

中堂

屋根の鳳凰

最勝院の本堂
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