京都御所
きょうとごしょ

所在地
京都府京都市上京区京都御苑3番


延暦十三年(974)、桓武天皇による平安遷都から明治二年(1869)の東京奠都まで、1075年の長い間、京都は皇城の地であった。平安京の大内裏に、紫宸殿を正殿とする内裏があり、焼亡と再建を繰り返しつつ、造営が成るまでの一時的な皇居として里内裏が幾つかできてきた。現在の京都御所は里内裏の一つであった土御門東洞院殿が、これも焼失と再建の間に発展的に拡張されてきたもので、平安京の内裏よりは東に二キロ近く離れた所に位置する。元弘元年(1331)、光厳天皇が土御門東洞院殿で即位され、以来この里内裏は皇居として定着したと見てよい。おおまかな言い方をすれば平安京の歴史の後半五百数十年は現在の京都御所が皇居であった。
京都御所の周囲には宮邸や公家の屋敷が立ち並んでいたが、東京奠都以来ほとんどが空き家となり、漸次取り壊されて現在の京都御苑に整備される。一方、京都御所においても、必要でなくなった大台所や対屋が除かれ、廊下などが壊されたのだが、戦後に廊下の一部はもとどうりに復元されて現在にいたっている。築地内十一万平方メートルに、平安内裏が凝縮されているのである。
-ポケットガイドより-
京都御苑内の神社 宗像神社
厳島神社
白雲神社
 
築地(ついじ)

長い築地と周りの砂利の広場が、京都御所の風格を示している。

清所御門(せいしょごもん)

通常の参観の時に使用される。御台所御門ともいわれ御所の勝手口的通用門

冝秋門(ぎしゅうもん

一般公開の入口公家門・唐門ともいわれ、摂家、親王、門跡、公家等が用いた。

新御車寄

1915年(大正4年)の大正天皇の即位礼に際し、建てられたもので、大正以後の天皇皇后両陛下の玄関である。

殿上の間

女官の生活風景の展示

殿上の間

女官の生活風景

建礼門

御所の正門

承明門越しの紫宸殿

紫宸殿は京都御所の正殿で、即位礼や節会等の厳儀を行うところである。

蹴鞠

建春門と回廊の間の広場で蹴鞠の披露があった。工事中の建物が建春門

清涼殿

十二単などを身に着けた女官通常の生活の様子

着物の展示

御池庭

池を中心とした回遊式庭園である。前面は州浜で、その中に舟着への飛び石を置いている。右手に欅橋が架かり、対岸には樹木を配し、苑路を廻りながら様々な景色を楽しむことができる。一般公開では、州浜の手前から眺めるだけです。

御学問所・蹴鞠の庭

室町時代から御学問所は清涼殿の一画にあった。別棟で建てられるようになったのは家康の慶長の御造営からで、禁中並公家中諸法度に「天子御芸能之事、第一御学問也」とあることの実現に過ぎない。したがって必ずしも学問のための御殿ではなく、月次の和歌御会、御対面その他に用いられた。御学問所は小御所と並んで東面し、畳敷き、畳縁、床と違棚があり、蔀に替えて舞良戸にするなど、「上段の間」「中段の間」「下段の間」の三室が東側にあり、奥(西側)に「菊の間」「山吹の間」「雁の間」がある。小御所と御学問所の間の四角の庭を鞠縣(まりがかり)、また蹴鞠の庭という。現在でも国賓などが御所をご覧のときに、ここで蹴鞠が行われることがある。小御所と御学問所の前の庭は東庭と呼ばれ、正月十五日に御吉書左義長という御吉書を囃しながら焼く行事が行われた。これを京都市民も拝観したといい、御所と市民の温かいつながりが、ここにもうかがえる。

襖絵

御学問所の廊下隅

御池庭

正面が欅橋かとおもわれます。

御内庭

御内庭

御常御殿の前庭で、御池庭からの続いている庭園です。

出口前の広場

左奥に御常御殿、右側に御学問所明治時代始まで、天皇がここで生活をしていたと想うと感無量です。
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