北野天満宮の摂社・末社

北野天満宮には、本殿を取り囲む形で多数の摂社・末社があります
御祭神 摂社祭神 火雷神 (ほのいかずちのかみ) 火之御子社
島田忠興翁 (しまだただおきおきな) 老松社
度会晴彦翁 (わたらいはるひこおきな) 白太夫社
十川能福 (そごうののうふく) 福部社
天神地祇 (てんしんちぎ) 地主神社
末社祭神 庭津彦神 (にわつひこのかみ) 竈社
庭津姫神 (にわつひめのかみ)
火産霊神 (ほむすびのかみ)
菅原大神 (すがわらのおおかみ) 文子天満宮
島田忠興翁 (しまだただおきおきな) 老松社
寛算入寺 (かんざんにゅうじ) 十二社 (寛算社)
大門内供奉 (だいもんないぐぶ) 十二社 (大門社)
橘逸勢 (たちばなのはやなり) 十二社 (橘逸勢社)
藤太夫吉子 (とうだゆうきっし) 十二社 (藤太夫社)
文屋宮田麿 (ぶんやのみやたまろ) 十二社 (文太夫社)
淳仁天皇 (じゅんにんてんのう) 十二社 (淳仁天皇社)
度会晴彦翁 (わたらいはるひこおきな) 十二社 (太宰少貳社)
島田忠興翁 (しまだただおきおきな) 十二社 (老松社)
度会晴彦翁 (わたらいはるひこおきな) 十二社 (白太夫社)
伊予親王 (いよしんのう) 十二社 (櫻葉社)
吉備真備公 (きびのまきび) 十二社 (吉備大臣社)
崇道天皇 (すどうてんのう) 十二社 (崇道天皇社)
十川能福 (そごうのうふく) 八社 (福部社)
瓊瓊杵命 (ににぎのみこと) 八社 (高千穂社)
天児屋根命 (あめのこやねのみこと)
菅原道真公のご息女 (すがわらみちざねこうのごそくじょ) 八社 (安麻神社)
菅公の眷属神 (すがこうのけんぞくしん) 八社 (御霊社)
日本武尊 (やまとたけるのみこと) 八社 (早取社)
小槻宿祢今雄 (こづきのすくねいまお) 八社 (今雄社)
高龗神 (たかおかみのかみ) 八社 (貴布禰社)
火産神 (ほむすびのかみ) 八社 (荒神社)
興津彦神 (おきつひこのかみ)
興津媛神 (おきつひめのかみ)
天照大御神 (あまてらすおおみかみ) 紳明社
豊受大御神 (とようけのおおかみ)
多治比文子 (たじひのあやこ) 文子社
事代主命 (ことしろぬしのみこと) 四社 (夷社)
神太郎丸 (かみのたろうまる) 四社 (松童社)
誉田別尊 (ほんだわけのみこと) 四社 (八幡社)
若松章基 (わかまつあきもと) 四社 (若松社)
建御名方命 (たけみなかたのみこと) 七社 (那伊鎌社)
一言主神 (ひとことぬしのかみ) 七社 (一拳社)
天稲倉宇気持命 (あめのいなくらうけもちのみこと) 七社 (周枳社)
豊宇気能媛命 (とようけのひめのみこと)
菅原輔正卿 (すがわらのすけまさきょう) 七社 (宰相殿社)  摂社
菅原定義卿 (すがわらのさだよしきょう) 七社 (和泉殿社)  摂社
菅原在良卿 (すがわらのありよしきょう) 七社 (三位殿社)
秋篠安人卿 (あきしののやすんどきょう) 七社 (大判事社)
豊臣秀吉公 (とよとみひでよしこう) 豊国神社
一夜千松の霊 (いちやせんまつのれい) 一夜松神社
野見宿祢命 (のみのすくねのみこと) 野見宿禰神社
菅原大神 (すがわらのおおかみ) 一之保神社
道真公の奇御魂 (みちざねこうのくしみたま) 奇御魂神社
倉稲魂神 (うかのみたまのかみ) 稲荷神社
猿田彦神 (さるたひこのかみ)
大宮能売神 (おおみやのめのかみ)
猿田彦神 (さるたひこのかみ) 猿田彦社
田心媛神 (たごりひめのかみ) 宗像社
湍津媛神 (たぎつひめのかみ)
市杵島媛神 (いちきしまひめのかみ)
菅原道真公の母君 (ふじわらみちざねこうのははぎみ) 伴氏社

末社 伴氏社(ともうじしゃ)

御祭神 菅原道真公の母君
菅原道真公の母君が大伴氏の出身であることより伴氏社と称する。かっては、石造りの五輪塔が置かれていたが明治維新の神仏分離政策により、当社南隣の東向観音寺に移された。暖かい愛情と厳しいまなざしを以って菅公を優秀な青年官史に育て上げられた母君を祀るこの神社は、わが子の健やかな成長と大成を願うお母様方の篤い信仰を集めている。神前の石鳥居は鎌倉時代の作で、台座に刻まれた珍しい蓮弁により有名である。
-立て札より-

摂社 福部社

祭神   十川能福
祭神十川能福は菅公に仕えた舎人であるが、その祭神名や社名より、いつの頃よりか金運と海運招福をつかさどる「福の神」として崇敬を集めるようになった。毎年節分の日に、茂山千五郎社中により奉納される追儺狂言「福の神」は、この社の祭神を主人公にした創作もので、天満宮参詣の人々に悪事をはたらく鬼を福の神が退治する筋立てが上演される。
-立て札より-

摂社 白太夫社

祭神   渡会春彦翁
文章博士菅原是善卿は、世継ぎの誕生を伊勢神宮の青年神官渡会春彦に託して豊受大神官に祈願された。そしてお生まれになったのが、道真公である。
それ以来、数十年にわたって守役として、菅公に仕え忠誠を尽くした翁は若い頃より髪が白く人々より白太夫と呼ばれた。各地の天満宮に白太夫と称えて、必ず翁を祭るのはこのようないわれによる。
-立て札より-

摂社 火之御子社

御祭神  火雷神
ご祭神・火雷神は、天満宮鎮座の天暦元年(947年)以前に、この地に「北野雷公」と称え祭られ、 雷電・火難・豊作などの守護神として人々の崇敬を集めた。 古い記録によれば元慶年中(880年頃)太政大臣藤原基経(ふじわらのもとつね)が五穀豊穣を祈願するため、 この「北野雷公」をお祭りしたとあり、以来毎年丁重なる祭典が続けられてきた。 現在午前四時に当社前で古式にのっとり火鑽式を行い、斎火(聖火)を点じて「雷除守札」に祈願を込め、 その後参拝の人々に授与されている。平安時代、朝廷では主として雷神に雨を祈り豊作を祈願したが、 雷の多い年は豊作である反面その害も少なくないため、五穀豊穣とあわせて雷害の無いことを祭神に祈願するようになった。 それが時代とともに雷除けが主となり現在に至っている。

摂社 老松社

御祭神  島田忠臣翁
祭神の島田忠臣は、菅公の家臣と伝えられ、また一説には公の岳父(夫人の父)ともいわれる。
忠臣は菅公が配流先の大宰府で、自らの無実を天の神々に訴えるため天拝山(てんぱいさん)に登られた時、 公の笏を預かってお供をした人物で、後に菅公は忠臣に松の種を持たせ当地に撒くように託された。 道真公のご神霊がこの地に降臨される時、多数の松が一夜にして生じたという伝説は、この事跡にもとづくものといわれる。
-立て札より-

末社 神明社

御祭神 天照大神
豊受大神
天照大神は伊勢神宮の内宮(皇大神宮)に御鎮座になり、わが国の平安と発展をつかさどる女神で、太古より最高神として崇敬されてきた。
豊受大神は外宮に鎮まられ、すべての食物とあらゆる産業をつかさどる神である。伊勢神宮のご祭神であるこの二柱の神は、特にと尊い神として全国ほとんどの神社に祭られている。
-立て札より-

末社(八社)

荒神社・貴布禰社・今雄社・早鳥社・御霊社・安麻神社・高千穂社・福部社

末社(十二社)

崇道天皇社・吉備大臣社・櫻葉社・白大夫社・老松社・大宰少貳社・淳仁天皇社
文大夫社・藤大夫社・橘逸勢社・大門社・寛筭社

末社 老松社(おいまつしゃ)

御祭神 島田忠臣翁
祭神の島田忠臣は、菅公の家臣と伝えられ、また一説には公の岳父(夫人の父)ともいわれる。
忠臣は、菅公が配流先の大宰府で、自らの無実を天の神々に訴えるため天拝山に登られた時、公の笏を預かってお供をした人物で、後に菅公は忠臣に松の種を持たせ当地に撒くように託された。道真公の御神霊がこの地に降臨される時、多数の松が一夜にして生じたという伝説は、この事蹟にもとづくものといわれる。
-立て札より-

摂社 地主神社

御祭神 天神地祇
(相殿) 敦実親王・斎世親王・源英明朝臣
当宮は、『続日本後紀』に「承和三年(836年菅公ご生誕の九年前)二月一日、遣唐使のために天神地祇を北野に祭る」と記録されている通り、天満宮創建以前よりこの地に鎮座していた神社である。
主祭神の天神地祇とは、日本国内六十余国に祭られたすべての神々のことであり、ともに祭られる三人の皇子はいずれも道長公のご血縁など、特に公とゆかりの深い方々である。現社殿は豊臣秀頼公の造営になり、由緒・規模とも天満宮第一の摂社です。

末社 文子天満宮

御祭神 菅原大神(菅原道真公)
道真公が大宰府で生涯を閉じられて四十年を経た天慶五年(942)、右京七条二坊(現在の京都市下京区千本通り七条辺)に住む巫女多治比文子に菅公の神霊より、わが魂を右近馬場(現境内地)に祭れとのお告げがあり、文子はとりあえず自宅に菅公の御魂をお祭りした。これが北野天満宮の発祥である。その後、他の霊能者にも同じご神託が相つぎ、天暦元年(974)天満宮は現在地に移された。文子の住居跡は神殿につくり改め文子天満宮と称えられてきたが、やがて西の京に移され、さらに明治六年この場所に遷座された。
-立て札より-

末社 竈社

御祭神 庭津彦神・庭津姫神・火産霊神
庭津彦・庭津姫神の「庭」は家庭の意味で、この二紳は家庭の守護神、また火産霊神は、火をつかさどる神である。古来この三柱の神は、かまど・台所の守り神として私たちの日常生活と密接に結びつき、各家庭で大切に守られて来た。この神々はもともと天満宮の御供所(神さまへのお供えを調理する台所)のかまどに祭られていたもので、昔から使われてきた大釜が社殿の床下に納められており、かいま見ることができる。
なお、かまどの神については中国にも同様の信仰があり、この神を台所に祭ると福を招くとして守り継がれている。
-立て札より-

手水舎

末社 宗像社

御祭神 田心媛神・湍津姫神・市杵島姫神
ご祭神は福岡県の北西部、玄界灘に臨む陸地(現在の宗像郡玄海町)と、 その沖合いにある二つの島にご鎮座になられた「宗像の三女神」とよばれる神々である。
太古よりこの海域は、大陸との交流において重要な道筋にあたり、海上交通の要所に鎮まる宗像の三女神は、 道を掌る最高神として手篤く祭られてきた。当社は、昔この社殿の西に池があり、水底にご鎮座になっていたご神体をこの場所に遷したものと伝えられている。
-立て札より-

末社 猿田彦社

御祭神 猿田彦神
(相殿) 大宮売神
猿田彦神は、日本の国をよく治めるようにと云う天照大神の命令を受けた瓊々杵尊が、高天原(天上にある神々の世界)より地上に降り立たれる際、先頭に立って道案内をした神であり、この神話をもって交通安全の神として崇められてきた。身の丈二メートルをこえる巨体と長い鼻を持ったこの神は、昔から「天狗さま」として親しまれている。大宮売神は、天鈿女命の別名。弟神 素戔嗚命の乱暴な振る舞いを嘆き悲しまれ、天岩屋戸にお隠れになった天照大神を、軽妙な踊りで慰めた女神であり、芸能上達の守護神として崇敬される。愛嬌のある顔立ちをされた神で、我国に伝わる「おかめ」というユーモラスな女性の顔は、この女神をモデルにしたものである。
-立て札より-

末社 稲荷神社

御祭神 倉稲魂神・猿田彦命・大宮女命
祭神は「稲生りの神」と称えられる通り、五穀(米・麦・粟・豆・稗)豊穣をつかさどり、また商売繁盛の守護神として代表的な神である。当社はまた、昔この付近に火災があった際、この神社の手前で火の手がぴたりと止まったという伝えによって「火除け稲荷」とも呼ばれ、信仰を集めている。
-立て札より-

末社 一之保神社

御祭神 菅原大神(菅原道真公)
末社 奇御魂神社御祭神 道真公の奇御魂

末社 野見宿禰神社

御祭神 野見宿禰

末社 豊国神社

御祭神 豊臣秀吉公

末社 一夜松社

御祭神 一夜松の霊

末社(四社)

若松社・八幡社・松童社・夷社
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