北野天満宮
きたのてんまんぐう

旧社格 官幣中社・二十二社
所在地
京都府京都市上京区馬喰町

御祭神 主祭神 菅原道真公 (すがわらみちざねこう)
相殿神 中将殿 (ちゅうじょうどの) 菅原高視(道真長子)
吉祥女 (きっしょうめ) 道真正室
摂社末社祭神 北野天満宮摂社末社
由 緒
北野天満宮は菅原道真公をお祀りした神社の宗祀であり、国を鎮め守る神として平安時代中期多治比文子らによって北野の右近馬場に菅原道真公の御霊をお祀りしたのが始まりとされています。菅公は「和魂漢才」の精神を以って学問に勤しまれ、幼少の頃より文才を表し、朝廷の官史として活躍されました。永延元年(987)一条天皇の令により初めて勅祭が執り行われ『北野天満宮天神』の紳号を得ました。寛弘元年(1004)の一条天皇の行幸を初めてとし、代々皇室の御崇敬を受け、江戸時代には寺子屋の精神的中心として菅公の御分霊がお祀りされるなど、『天神様』として親しまれ、以来学問の神様としての信仰は現在に至るまで受け継がれています。

天神様の御神徳
菅公は国家国民の為に至誠をつくされ、人々の崇敬の念が篤いところから天神信仰の起源となりました。学問の神様として広く知られていますが、古くから『火雷天神』として農耕や狩猟、漁業に携わる人々からも篤い信仰を受けています。また弘法大師や小野道風らとともに天下の三聖と称され、書道上達を願う人々の信仰も篤く、室町時代の足利将軍の時には猿楽が北野天満宮の社前で催されたり、出雲阿国も念仏踊りや歌舞伎踊りを演じたことが当時の記録にもあるように、芸能の神として『文道太祖風月本主』と仰がれ、今もその上達を願う人々の参詣が絶えません。

国宝 社殿
当宮の社殿は昔から、朝廷及び将軍家がその造営修繕に当られました。国宝の指定を受ける現在の本殿は慶長十二年(1607)、豊臣秀頼公が造営されたもので、この時作られた中門、東門、絵馬堂、神楽殿、校倉等も現存しています。また、この社殿造営は、父秀吉公の遺志であったと伝えられます。古来、神社祭祀は庭上で行われて来ましたので、壮大な殿内で祭典を執行し得る当宮現社殿の出現は神社建築史上画期的なものであったと言えます。八棟造と称され、総面積約五百坪の雄大な檜皮葺屋根を戴くその威容は、造営当時そのままに絢爛豪華な桃山文化を今に伝えています。
     -北野天満宮参拝の栞より-

北野天満宮の秋祭り(瑞饋祭)


一の鳥居

三の鳥居から楼門

楼門

絵馬堂(休憩所)

絵馬堂から三光門

参道の両側には摂社・末社が並んでいます。

駒丑

中門(三光門)

「天満宮」の勅額は後西天皇の御宸筆である。三光門の由来は、豊富な彫刻の中に日・月・星があることによる。
-立て札より-

社殿

本殿はこの建物の後ろ側に並んでいる。(国宝)

本殿(横からの姿)

社殿(国宝)

豊臣秀頼公が慶長十二年に造営された。

北門

東門付近

納札所と絵馬賭所
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