清水寺
きよみずでら

北法相宗本山
山号 音羽山
(世界文化遺産)
所在地
京都府京都市東山区清水一丁目

御本尊 木造十一面観音立像(重要文化財)

「せいすいじ」とも呼ばれる
清水坂を上り詰めた所に所在。
西国三十三所観音霊場の十六番札所
洛陽七観音の一
洛陽三十三所観音の十二番札所で同じく十番地蔵院・十一番奥院・十三番朝倉堂が境内にある。


清水新道からの赤門(仁王門)

きつい坂道と階段を上りやっとの思いで見上げた仁王門、救われる感じだ。

正面からの景観

三重塔(重要文化財)

この塔は、当山ご本尊観世音菩薩の御霊験によって嵯峨天皇の皇子ご生誕あり。承和十四年(847)葛井親王が勅命を奉じて創建されたと伝える。
現在の塔は寛永九年(1632)の再建で、日本最大級の規模を持ち、三間四方、高さ29.7m.に達す。昭和62年(1987)文化庁の助成をえ、京都府教育委員会に委託して、解体修理、彩色復元の落慶をみた。
一重内陣の中央に大日如来坐像を安置し、四面の壁に真言八祖像、四天丸柱に密教的な仏画を描き、柱は雲天竜、天井その他は飛天・華型幾何文様が全面荘厳されている。
なお今回の修理で全重を総丹塗りに戻し、他塔にその類例を見ない、各重の丸桁・台輪・長押などの各種極彩色文様をすべて寛永の昔に復元した。
一重で見ると、軒下の丸桁の両端は「魔楬魚」中央は「金剛盤に宝珠」中段の台輪の両端は「出八双卍崩円竜」中帯は「向い蝶」下方の長押の両端は「入八双若芽唐草」中帯は「四弁花羯魔繋」の文様になっている。

西門(重要文化財)
江戸初期

寛永八年(1631)の再建。三間一戸、正面8.7m側面3.9mの優雅な八脚門で、西面して急な石段上に建つ。単層・切妻造り、檜皮葺屋根で、正面には向拝をつけ、七段の木階を設け、床と共に高欄をめぐらし、背面には軒唐破風を架ける大層珍しい形式になる。軒は二重繁垂木、マスグミは和様一手先出組み。左右の脇間に鎌倉様式の写実性と量感豊かな持国天と増長天の立像を奉祀する。開放されている中央の間は立派な折上小組格天井となり、また随所に勝れた蟇股・紅梁・木鼻などを多く備え、平成五年(1993)丹塗りと極彩色文様が復元され桃山様式の華麗さを再現している。
拝殿風の華美なこの門からの京都市外・西山の眺望は素晴らしい。勅使門にも使われたが、絶好の洛中展望台とされ、かつ西山に沈む夕日の見事さに西方極楽浄土を観想する日想観拝所となったとも考えられる。前方の仁王門が相並び立つ趣向は格別に意味深長である。
北法相宗 清水寺
案内板より

経堂


ここから拝観

本堂手前から

清水寺本堂(国宝)

寛永十年(1633)徳川三代将軍家光の寄進再建。東・北・西に裳階をつけた正面十一間36m強。奥行九間30m強。棟高18mの高大な観音菩薩を祀る聖堂である。創建は平安建都と同期(八世紀末)坂之上田村麻呂将軍夫妻の寄進による。起り檜皮葺、寄棟造りの屋根や、軒廻りの蔀戸吊りに優美な平安王朝の宮殿と貴族の寝殿造り邸宅の面影を伝承している。正堂最奥の内々陣の大須弥壇の上に「清水型観音」といわれる清水寺独特の姿をする本尊十一面先手観音と脇侍の地蔵菩薩・毘沙門天(三尊とも秘仏で、それぞれ国宝の厨子内に安置され、33年毎に開扉される)および千手観音を守護する二十八部衆、風神・雷神を全体揃えて奉祀する。
外陣は礼堂で、普段一般の参拝は此所で礼拝する。ために内側正面の欄間に本尊・脇侍の御正体を大きな円鏡形に彫刻して奉懸する。また他の各欄間には江戸時代の大絵馬が20面近く奉納されており、中央の間の金箔の太丸柱や折上小組天井・三尊の梵字を彫刻する彩色蟇股などに江戸初期桃山建築様式の華麗さを見る。
なお礼堂の東西両端に翼廊(楽舎)を突出し、廊下の南側へ”舞台"を張り出している 西翼廊(車寄せ)の鉄製の大錫杖(重さ90Kg・長さ2m62cm)・小錫杖(14Kg)と高下駄(一足12Kg)は、明治初年、修行者たちが本堂下の音羽の滝から百段の石段万度上り下の満願成就を感謝して奉納したもの。弁慶の持物にふさわしいが、各所に奉納者の刻銘が残っている。すぐ前には出世大黒天が笑坐し。左手の廂間内には塩断ち阿弥陀が鎮座する。その窓下長押の深い疵筋は堂廻りの数取り串の歴史的な擦り傷の後である。 東出口の西側欄間には臨済宗の中興の祖と称えられる白隠禅師(1689-766)揮毫の観音経偈区「慈眼視衆生・福聚海無量」の竪額が揚がる
ー案内板より-

清水の舞台

京都市内が遠くに見える

奥の院から見た本堂・舞台

本堂のふれ愛観音

子安塔(重要文化財)

江戸時代(1633)建立

子安塔付近からの景観

音羽の滝
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