山王宮日吉神社
さんのうぐう ひよしじんじゃ

旧社格 県社
所在地
京都府宮津市宮町滝上公園1408

御祭神 主祭神 大己貴命 (おおなむちのみこと)
大山昨命 (おおやまくいのみこと)
摂社祭神 少彦名神 (すくなひこなのかみ) 杉末神社
大物主神 (おおものぬしのかみ)
末社祭神 事代主神 (ことしろぬしのかみ) 恵比寿神社
猿田彦命 (さるたひこのみこと) 船魂神社
大年神 (おおとしのかみ) 年徳神社
大物主命 (おおものぬしのみこと) 琴平神社
大山祇命 (おおやまつみのみこと) 山神社
句々廼馳命 (くくのちのみこと)
由 緒
古来より、山王社と呼ばれる。宮津郷の総産土の神とされ、例祭は五月十五日に執り行われる。山王社の起源説はいろいろとあり、其のいずれもが平安期までさかのぼり、江州坂本より勧請されたものとある。大己貴命、大山昨命の二柱をお祀りし、国造りの神であるところから宮津藩守護紳として歴代藩主の厚い崇敬を受け、従って家中、町方とも深いかかわりを持ちつつ、祭礼が続けられてきた。宮津開府以来、山王祭は藩祭、国祭りとして盛大な祭り絵巻を繰り広げ、城主自ら音頭をとり神輿を造り、漁師町、白柏町、葛屋町、川原町、川向町、魚屋町、万町、本町などの城下の芸屋台はもちろん、藩内の岩滝、加悦、上宮津、府中、男山、内宮、外宮より、計七十七人の世話人を選び練りものを出したと記録にある。宮津祭と呼ばれる所似である。波路御旅所への神輿渡御の際は、宮津城はとくに大手、波路両門を開いて通過を許し、そこへ神輿、屋台同士が場内巡行の順路をめぐって争いながら押しかけたため、「宮津祭りは将軍の駒よ、大手大手と詰めかける」との俗謡も生まれた。特殊神事として、六十一年毎に甲子大祭が執り行われている。
境内には七社の神社があり、摂社杉末神社は延喜式内社として、千有余年の歴史を持ち、旧城下においては最古の神社である。大物主命、少彦名命をお祀りし、宮津西町の氏神とされている。十月十日の例祭には、 「赤ちゃんの初土俵入り」 の神事があり、化粧まわしを付けた幼児が、神と相撲をとることによって健康を授かるという、極めて珍しい神事として名高い。
     -境内案内板より-

境内全景(合成写真)
   
参道

樹齢八百年以上の御神木と手水舎。
滝上公園からは、此処から参拝です。

日吉神社拝殿(江戸時代)

京都府登録文化財

狛犬

日吉神社本殿と幣殿

本殿

京都府登録文化財
日吉神社本殿 (江戸時代)
日吉神社拝殿 (江戸時代)
昭和61年4月15日登録

恵比寿神社

後祭神  事代主神
御紳徳  商売繁昌
家運隆盛  大漁満足

宮津えびす神社 として昔から大切に守られてきました当地方では数少ない格式あるえびす様です
よろずの繁栄をお祈りください。
社殿は京都府の文化財であり、軒檜皮銅板葺きの特殊な屋根となっています。

杉末神社と船魂神社

杉末神社(すぎすえじんじゃ)

後祭神  少彦名神  大物主神
御紳徳  無病息災  病気平癒

健康・医薬の神として昔から無病息災が祈られてきました。
子供の成長を祈る 「赤ちゃん初土俵入り」 もそうした護身徳によるものです。

宮津で最も古い神社で、宮津の名が使われ始めた頃に唯一存在し、その地名の由来となった神社です。

境内末社

赤ちゃん初土俵入

十月体育の日に執り行われます赤ちゃん「初土俵入」は、華麗な化粧回しを付けた幼児が見えない神様を相手に相撲を取ることで健康を授かるという可愛らしい神事です。江戸時代中頃、それまで行われていた地元力士による奉納花相撲の影響を受けて、氏子中の有力壇家々が屋号などを元にした化粧回しを作りその子供達を土俵に上げたのが始まりで、以来今日まで城下町宮津の子供たちの大切な儀式として守られてまいりました。
日本には幾つかの子供の相撲行事が有りますが、初土俵入は全国に例を見ることはないきわめて珍しい神事であり、当日境内は各地から集う沢山の子供達の泣き声、そしてそれを見守る人々の歓声で大いに賑わいます。

如願寺     宮津市字宮町
厳松山と号す、高野山真言宗。寺伝によれば万寿元年(1024)比叡山の僧皇慶上人が、行基菩薩作の薬師如来像を負うてここに来り、一宇を建てて安置したに始まるという。皇慶上人は諸国を巡ってのち丹波池上房(船井郡八木町)に住したと伝え、また田辺(舞鶴市)円隆寺も中興の祖としている。
中世丹後守護一色氏は丹波細川・若狭武田氏とたえず争ったが、一色方の山城宮津城は
この寺の向い側にあった。永正三年(1506)の如願寺跡合戦はわけても激しいものであった。如願寺荒廃の時代である。伊勢外宮の御師(おし)の「丹後国御檀家帳」(十六世紀前半期)によると、一色氏の奉行、宮津谷の支配者小倉氏の帰依を得て寺運回復に赴いたと思われる。古くから多くの子院を擁していたが、十八世紀初頭には六院に定まり、いまは本堂(薬師堂)・庫裡(旧宝珠院跡)等が残るのみ。すぐれた自然環境の中に多くの文化財をもっている。
本堂は寛文十二年(1672)宮津富田大工の最初期の造作、古い阿弥陀堂形式を残している。仁王門は元禄三年(1690)の再建、ここにも三棟造の古式の構造を見せている。
本尊薬師如来立像は檜財一木造りで古様を残す藤原期の作。ほかに同時代の聖観音・十一面観音立像もある。庫裡前庭には正和元年(1312)刻銘五輪塔、南北朝・室町期の宝篋印塔・逆修石灯籠等石造物がある。


仁王門

本堂

この本堂の右側奥は、山王宮日吉神社です。
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