多久神社 たくじんじゃ | |||
旧社格 村社・式内社 | |||
所在地 | 京都府京丹後市峰山町丹波涌田山2 | ||
御祭神 | 主祭神 | 豊宇賀能咩命 (とようかのめのみこと) | |
末社祭神 | 天鷲命 (あまわしのみこと) | 楯縫神社(合殿) | |
誉田別命 (ほんだわけのみこと) | 八幡神社(合殿) | ||
軻遇槌命 (かぐつちのみこと) | 愛宕神社(合殿) | ||
大宮賣命 (おおみやめのみこと) | 大宮宜神社(合殿) | ||
進男命 (すさのおのみこと) | 八重垣神社(合殿) | ||
鹽土老翁神 (しおつちおじのかみ) | 鹽竈神社(合殿) | ||
稚日賣命 (わかひめのみこと) | 稚宮神社(合殿) | ||
由 緒 | 祭神 豊宇賀能咩命 (とようかのみのみこと) 鎮座年記 不詳 例祭 十月八日 延喜式(927年制定)式内社の小社です。真井伝説による天女を祭神としています。天女は豊受大神(伊勢外宮の豊受大神宮に祀られる穀物女神)の化身で、当地に天下り農業を興されました。社記によると「(植えたその)秋に稲の穂が垂れてたわわに実った様を見られて大神は大変お喜びになり、『ああ嬉しい! まことに立派に実った田庭だね云々』と申された。丹波の地名はここから発し、このことを以て祭神をお祭りする』と言われております。 又、丹後古風土記逸文に「天女よく酒を噛み造り、その酒を一杯飲めばすべての病が治る」といわれ、「その酒を村人に分け与えると皆が吉兆の恵みとおかげを授かる」と言われています。このことが後世に天酒大明神と崇められているゆえんであり、天酒祭は前述の言い伝えに由来するものです。そこで社記に「いつも祭に酒を置いて縁起を祝う云々」と伝わっています。 このお宮は、丹波、荒山、内記、矢田の総鎮守でお祭りには神輿練込の神事がありましたが寛永年中(1624年頃)に無くなりました。当時の御旅所が、昔の盛んであった神事の跡を残しています。 藩主の京極様は代々このお宮にいつも崇敬の念をもたれ、寄進は数度に亘ってございました。 昔から、多くの人々の口に、もてはやされている里歌に「矢田や丹波の郷の天酒様のお下通もありがたい」と謡われています。おそらく紳徳を崇め讃えてのことでしょう。この社は、元天女が鎮座されていた神座尾(笠の尾)にありましたが嘉吉年間(1441年頃)に現在の神山に鎮座しました。現在の本殿は、この地方の名匠吉岡嘉平冶の作で、文化九年(1812年)に造営されたものです。 明治六年二月十日に村社に列格されました。 紀元二千六百年(1940年)春祭日掲之 平成二十年(2008年)十月吉日作成 -境内の由緒書きより- | ||
神社入口 国道482号線沿いで、鳥居までの広場が広く相当量の駐車スペースになります。 | |||
鳥居から二の鳥居を見る 由緒案内板と後ろに祠がある | |||
二の鳥居(左側) 鳥居横の祠(右側) | |||
狛犬 | |||
割拝殿 この地方で割拝殿をよく見るが、拝殿は別に本殿の前に立派な拝殿がある。形式的には神門のような感じです。 | |||
拝殿 | |||
拝殿と本殿の覆い屋 本殿は完全に覆い屋で囲われている。 | |||
拝殿越しの本殿 | |||
本殿 (府指定文化財) 現在の本殿は文化8年(1811)に火災に遭った後再建されたと伝わり、文化11年(1814)には完成したことが擬宝珠銘より判明する。一間社隅木入春日造、こけら葺、建物を彫刻で飾り、軒桁を持ち出して屋根を大きく見せ、正面に唐破風をつける。大工は丹後を中心に活躍した吉岡嘉平で、また細部を飾る彫刻が優れている神社本殿遺構として重要。 | |||
末社 楯縫神社 八幡神社 愛宕神社 大宮宜神社 八重垣神社 右側に社日塔 | |||
末社 稚宮神社 鹽竈神社 この社は、彫刻等が素晴らしく立派なもの。 | |||
社日塔 |