和貴宮神社 わきのみやじんじゃ | |||
旧社格 村社 | |||
所在地 | 京都府宮津市宮本428 | ||
御祭神 | 主祭神 | 天照大神 (あまてらすおおみかみ) | |
配 紳 | 豊受毘賣神 (とようけひめのかみ) | ||
伊邪那岐命 (いざなぎのみこと) | |||
天水分神 (あめのみくまりのかみ) | |||
天御中主神 (あめのみなかぬしのかみ) | |||
海津見命 (わだつみのみこと) | |||
猿田彦神 (さるたひこのかみ) | |||
国常立尊 (くにとこたちのかみ) | |||
阿賀姫神 (あがのひめのかみ) | |||
末社祭神 | 事代主命 (ことしろぬしのみこと) | 恵美須神社 | |
宇迦之御魂神 (うかのみたまのかみ) | 稲荷神社 | ||
大国主神 (おおくにぬしのかみ) | 兵主神社 | ||
由 緒 | 宮津海辺の岩を神の依代とした。 神殿は室町以前の創建である。 古記に一宮別宮大明神・丹後国別宮総社・子守神・分宮大神宮とある。 歴代の藩主の崇敬が厚かった。 全国神社名艦より | ||
案内看板 県道9号線(京街道)に掲げられています。 | |||
神社入口 立派な門が出迎えてくれます。 本殿同様宮本の大工に依って造られた門とのことです。 | |||
鳥居と拝殿 | |||
境内 | |||
本殿 | |||
本殿 宮司の話では、主祭神は、天御中主命とのこと。 御本殿は、北前舟を作っていた関係で、神社前の宮本町が大工町でその大工が丹精こめて作った社殿で、彫刻がすばらしく立派とのこと。 室町時代の創建とのことで、その頃はもう戦火に遭うことは少なかったと思われるのだが、本殿の中で祈祷ができるように別室が本殿内に作られている。出入り口が本殿の裏側に作られている。 | |||
拝殿内 著名な画家による絵馬が奉納されている | |||
境内社 | |||
和貴宮と水越岩 宮津市字宮本 和貴宮は宮津町東部の産土神とされるが、宮津の町の成り立ちを考える上に、この付近は興味深い場所である。伊勢外宮御師の御壇家帳によると、十六世紀前半には概に「宮津市場」が開け、宮津谷の支配城主小倉氏は配下千賀氏をこの地に配していた。「宮津えのしま」も開けていた。当社の創立は少なくともその頃まで遡る。社殿棟札の一つに、永正二年(1505)九月十二日造営の伝を記しているのがあるのも事実に近いと思われる。 細川氏時代に 「脇ノ宮」 に悦山正善なる社僧がいたことを盛林寺過去帳は伝えている。その頃この付近に 「わきの宮かじ」 があったことは慶長七年(1602)検地帳から知られる。この社の裏から海岸に通ずる通路を 「勘左衛門小路」 とつたえているのは猟師勘左衛門が細川氏から頂戴した道と伝えられている。いわば「わきの宮」はそれらかじ町、猟師町の産土神として祀られたのであろう。境内にわだかまる大岩は水越岩と呼ばれて、かって海辺であった跡と伝える。 「宮津え(江)の嶋」 のあとかも知れない。 現社殿のうち本殿は文化四年(1804)、拝殿は文政三年(1820)建立。本殿は藩主の援助もうけて、大工棟梁の職人町(宮本町)清水清助、後見万町富田弥四郎らの許に多くの諸職人・講中の力を結集して建てられた。全体的に装飾に力を注ぎ、ぶどう籠彫りなど技巧を凝らし、妻飾りも美しく組み立てられている。 宮津市教育委員会 宮津市文化財保護審議会 | |||
水越岩の背面 |