元興寺
がんごうじ

元興寺極楽坊
真言律宗
(世界文化遺産)
所在地
奈良県奈良市中院町11

御本尊 智光曼荼羅
阿弥陀如来坐像
由 緒
興福寺の南方に所在する寺院で、南都七大寺の一つ元興寺から独立したもので、正式には元興寺と称するが、一般には元興寺極楽坊、極楽坊とよばれる。当寺南方の芝新屋町には華厳宗の元興寺がある。南都の元興寺は現奈良県明日香村の飛鳥寺の別院として創始され、広大な寺地内に多くの堂宇・塔頭が建てられていたが、しだいに荒廃していった。しかし元興寺の中心伽藍からやや離れていた極楽坊は、庶民の曼荼羅信仰もあり鎌倉時代から個別の寺院としての性格を持っていったものと考えられる。
大江親通が嘉承元年(1106)に記した「七大寺日記」では、元興寺のうちに「極楽房者智光頼光両聖人之共往生セル房也。仏房ハ塔之北ニ一町許行テ東西ニ横ル連房アリ。其中心馬道アリ。其馬道之東ノ第一房也。其房ニ為智光所現浄土相ヲ図写セル極楽曼荼羅尤可拝見」とみえ、元興寺の房の一つであったが、現本堂の棟札に「元興寺極楽坊造営事、寛元二年申辰四月十五日乙酉柱立、六月二日辛未棟上」などとあり、寛元二年(1244)に改築が行われてから独立の形態をとっている。また「大乗院寺社雑事記」康正三年(1457)四月二十九日条の「大乗院家末寺自然ノ所用ヲ仰付寺事」に極楽坊として「此寺者本来聖道ノ住持ノ在所也、然而明教法橋質物ニ取流テ考覚僧正ニ進上、考覚僧正始而律院ニ被成了」とあり、興福寺大乗院の支配下に入っているが、元興寺本体は東大寺から別当が出ており、宗教上の性格も異なっていた。同書長禄四年(1460)閏九月二十六日条にみえる正長元年(1428)の領内間別銭事に「極楽坊辻子」がみられるので、極楽坊に至る小路には民家が建ち、課税の対象となっていた様子がうかがわれる。大永五年(1525)の御領内元興寺領地口銭帳(内閣文庫)によれば、春日社田楽頭役方のため「極楽坊」で十三軒に十五間三尺分(一軒につき30文)の地口銭がかけられている。慶長七年(1602)には観音堂を中心とする元興寺に対して法華寺村・肘塚村内に50石の朱印地が極楽坊に対しては法蓮村・法華寺村・肘塚村(以上奈良市)村内で100石の朱印地が与えられている。
     -寺院神社大辞典より-


本堂と禅室(共に国宝)

墓地

秋には草花が咲き景観も代ります。

元興寺山門

本堂
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