依水園
いすいえん

池泉回遊式庭園
所在地
奈良県奈良市水門町74

由 緒  『依水園』は明治期を代表する庭として、昭和五十年に国の名勝指定を受け、総面積約四千坪に及ぶ奈良市内唯一の池泉回遊式庭園です。依水園と言う名は、万葉集に詠われた吉城川の水に依っている事と、杜甫の漢詩に「名園依録水」という一説があり、それを引用したとも伝えられています。庭の構成は西側[入口右側]の前庭と東側[玄関左奥]の後園からできています。これらは創始を全く異にする二つの回遊式庭園を組み合わせたものです。
 前園は、「奈良坊目考」によると興福寺摩尼朱院の別業があった場所とされており、江戸期の延宝年間、1670年代に奈良晒業者の清須美道清が別邸を設け、宇治黄檗山の木庵禅師が名付けた建物、「三秀亭」が現存しています。前園の見所は、三秀亭を中心に前池の護岸石の石組みと池の中に鶴亀をなぞらえた中島、要所に置かれた灯籠など江戸期の作庭を物語っているところにあります。後園は、明治三十二年に奈良晒業者の関藤次郎の気宇を汲んで、裏千家十二世又妙斎(ゆうみょうさい)が作り上げた庭と伝えられています。東大寺南大門、若草山、春日奥山、御葢山を取り入れた借景は、万葉世界を彷彿させる眺望となっており、また、書院造の建物や茶室、柳生宝徳寺から移築された柳生堂によって構成されています。後園の見所は、細い路地を経て東に進むと、視界が急な広がりを見せて想像もしていなかった借景が姿を現すという意表をついたところにあります。また、中島と築山を芝生にすることで、遠景の若草山との連なりを見せ、さらに奥行きをもたせています。
依水園は、昭和十四年に中村家の手に渡ります。中村準策(1876~1953年)は、神戸で財を成し、収集美術品を展示する財団法人寧楽美術館を創立するに当って、美術品を鑑賞する環境を兼ね備えた美術館を設けるという当時としては画期的な構想を持って、依水園を購入します。しかし、第二次世界大戦の勃発により、財団としての公開は、準策の孫である準佑(1930~2001年)が果たすこととなりました。こうして受け継がれた依水園は、世界遺産に囲まれる中で、今も昔の景色を護りながら四季折々の風情を楽しめる空間として公開されています。
-入園のしおりより-

入口は、正面の門が『依水園』入口です。右側は、吉城園入口です。門を入ると正面奥に『依水園』の受付けがあります。正面奥に見えるのは若草山です。

庭園の中で

前庭部

前園

三秀亭横から

前園

三秀亭を中心に荷周辺どこから見ても美しい庭園です。

後園

南大門と若草山・春日奥山まで見られます。

書院造の建物と柳生堂

大仏殿駐車場手前の神社

庭園では、一番奥になります。
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