薬師寺
やくしじ

法相宗大本山
(世界文化遺産)
所在地
奈良県奈良市西ノ京町457

御本尊 薬師如来
由 緒 
薬師寺は天武天皇により発願(680)、持統天皇によって本尊開眼(697)、更に文部天皇の御代に至り、飛鳥の地において堂宇の完成をみました。その後、平城線と(岡山県倉敷市)に伴い現在地に移されたものです。当時は南都七大寺の一つとして、その大伽藍はわが国随一の壮美を誇りました。すなわち金堂を中心に東西両塔、講堂、回廊が立ち並び、なかでも裳階を施した金堂や塔のたたずまいの美しさは、"龍宮造り"と呼ばれて、人々の目を奪いました。以来1300年を経、この間、幾多の災害を受け、特に享禄元年(1528)の兵火では、東塔(国宝・白鳳時代)を除く諸堂が灰燼に帰しました。昭和四十二年、故高田好胤管主により薬師寺白鳳伽藍の復興が発願されました。失われた堂塔の復興を薬師寺の大悲願とされ、お写経勧進によって、金堂、西等、中門、回廊、更には平成十五年三月に大講堂が復興され、白鳳伽藍の輪喚美として甦りました。
     -拝観のしおりより-


薬師寺南側から

金堂と講堂

金堂は薬師寺縁起によると二重二閣、五間四面、瓦葺の建物で各層に喪階をつけた美しい堂で、龍宮造りと呼ばれています。薬師寺白鳳伽藍は、金堂を初めとして東塔の意匠で総て統一されています。また、「堂内の荘厳は美をつくし、燈火がなくても金色に光り輝いた」と伝えられています。

東塔(国宝・白鳳時代)

各層に喪階をつけているため六重に見えますが、三重の塔です。この得意な形が、全体として律動的な美しさを保ち、"凍れる音楽"という愛称で親しまれています。相輪の頂上に取り付けられた水煙は四枚は四枚からなり、その中には24体の飛天が透かし彫りされています。

西塔

西塔は享禄元年に兵火で焼失し、昭和56年4月に453年ぶりに創建当所の白鳳様式を持って復興されました。華麗な西塔が長年の風雪に耐えた東塔と並び立つさまは、大変印象的な光景といえましょう。

万灯会(まんとうえ)

玄奘三蔵院

平成三年の建立

薬師寺伽藍
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