御霊神社
ごりょうじんじゃ

旧社格 指定村社
所在地
奈良市薬師堂町24

御祭神 主祭神 井上皇后 (いのうえこうごう)
他戸親王 (おさべしんのう)
末社祭神 倉稲魂大神 (うかのみたまのおおかみ) 出世稲荷社
祓戸三紳 (はらえどのみかみ) 祓戸社
由 緒
元興寺五重塔跡の南西に鎮座。 旧村社。祭神井上皇后・他戸親王など八紳。木比御霊とも称し(奈良坊目拙解)、『南都名所集』には吉備真備以下の八所御霊を祀るとあり、『八重桜』にも元興寺の鎮守のため吉備大臣を祀ったと見える。現奈良市西紀寺町の崇道天皇 社ともに南都二大御霊社とされ た。『奈良坊目拙解』所収の治安二年(1022)の吉備御霊祠奉加帳に、「延暦年中ニ井上内親王ニ皇后ノ位、他人王ニ皇太子ノ位ヲ追複シ、早良親王ニハ崇道天皇ト追称シ、州租税ヲ分テ元興寺ニ治メ、諸寺ニ送テ皇后井上内親王皇太子他人王ノ御霊ヲ弔ヒ給ヒシカトモ、世間ヲモ騒ナラス疫病モ未タ息サレハ、百姓等畏レ憂ヒテ毎年ニ国々処々ニ御霊会ヲ行フ、夏ハ崇道天皇ヲ祭リ、秋ハ井上内親王ヲ祭リ奉ル」と見える。古くは元興寺南大門にあったといわれ、門前を井上町という。元興寺古図(大和志料)には南大門西脇に『神輿舎』を描く。『大乗院寺社雑事記』には元興寺御霊社と記され、文明15年(1483)九月十三日条に『今日元興寺御霊祭也、頭人高畠郷ニ在之云々、来社ハ御霊八所之内、藤原之左大臣時平公云々』とある。古く例祭は九月十三日で、神主は興福寺の工匠座である寺座の大工が勤仕した(同書)。近世の氏子圏は北は餅飯殿町の南の辻、南は京終村、東は鵲町・鶴福院町、西は大森町・杉ヶ町を限りとする六四町に及び、例祭には神輿渡御があり、行列も華美であったという(奈良坊目拙解)。
     -寺院神社大辞典(大和・紀伊)より-

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