氷室神社
ひむろじんじゃ

旧社格 指定村社
所在地
奈良市春日野町159

御祭神 主祭神 大鷦鷯命(仁徳天皇) (おおささぎのみこと)
闘鶏稲置大山主命 (つげのいなきおおやまぬしのみこと)
額田大仲彦命 (ぬかたおおなかつひこのみこと)
末社祭神 祓戸大神 (はらえどおおかみ) 祓戸社
酒弥豆彦命 (さかやつひこのみこと) 下殿坐高橋神社
酒弥豆姫命 (さかやつひめのみこと)
菅原道真公 (すがわらみちざねこう) 菅原神社
狛光高霊 () 舞光社
由 緒
元明天皇の御世、和銅三年七月二十二日、勅命により平城新都の左京、春日の御料山(春日山)に鎮祀され、盛んに貯氷を起こし冷の応用を教えられた。これが平城七朝の氷室で、世に平城氷室とも御蓋氷室とも春日の氷室とも称せられた。翌和銅四年六月一日初めて献氷の勅祭を興され、毎年四月一日より九月三十日迄平城京に氷を献上せられた。奈良朝七代七十余年間は継続せられたが、平安遷都後はこの制度も廃止せられ、遂に百五十年を経て、清和天皇の御世、貞観二年二月一日現在の地に奉遷せられ、左右二神を増して三座とせられた。爾来、現在の春日大社の別宮に属し式年の営繕費、年中の祭礼等は、興福寺、春日社の朱印高二万石の内と社頭所録三方楽所料二千石の一部によって行われたが、明治維新後はこの制度も廃せられ、専ら氏子と冷凍氷業界の奉賛によって維持せられて今日に及んでいる。又、本殿東側には末社として、南都舞楽の楽祖なる泊光高公を祀った舞光社がある。
     -しおりの御鎮座由来の大要より-


一の鳥居

国道に面した所で、大仏殿への参道の左側(南)

参道

参道

祓所

四脚門

四脚門から本殿方向を見たところ

舞殿からの本殿


渡廊・舞殿と瑞垣

瑞垣の中に本殿が

本殿正面

瑞垣の間からどうにか見えました

末社舞光社

南都舞楽楽祖狛光高公を祀る手前は藤棚ですがこれは、舞台なのかな?

瑞垣
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