常陸神社
ひたちじんじゃ

旧社格 無格社
所在地
奈良県奈良市法蓮町(県立奈良高校の北)

御祭神 少名毘古那尊 (すくなひこなのみこと)
由 緒
常陸神社勧請の記(ひだち)
常陸神社の御祭神を少名毘古那(すくなひこな)の尊と申す。今より千余年の昔国司たりし常陸代将中臣無良自と云う人が少那彦那の神を信じ一社を建立信仰せられたる時桓武天皇延暦七年都を山城国愛宕郡へ遷し賜うに際し祭神を当佐保岡の地に移し賜えり然るに中世應仁の大乱により神社も廃壊して神鐙も絶えんとせしを徳川の治世となり八代将軍吉宗公社寺の由来を調べ再建ありし時、当神社を郡山の城主柳澤甲斐守吉里侯に申付御造営ありてより参詣者続々と相集まり時移り明治の後期拝殿社務所等を改築今日に至る
わざわひは少名彦那の神なれば
祈るやまひも ひたちなるらん
昭和四十八年四月十九日建立
常陸神社
     -境内の案内板より-

参道

参道

奈良高校グラウンド横の長い参道
神社入口

神社入口

左側は、奈良高校のグラウンドです


社標
参道
社伝への階段
狛犬 狛犬
狛犬

母子獅子
母獅子のお乳を求め慕いよる子獅子
「子授けの常陸の宮様」ならではの唐獅子です。
特に子獅子の表情をご覧ください。
子授けの祈願は毎月十九日
当社で承っております     常陸神社
拝殿から
拝殿
本殿
本殿

ひたち童子

拝殿前に鎮座

法蓮稲荷神社

当稲荷神社は往古より法蓮字大黒が芝(現ドリームランド入口北側の丘上)に鎮座され法蓮を始め近傍の住民より崇敬されておりました。もともとこの地には隼人石、七匹狐と称される石塚が存在したところから狐と関連する稲荷信仰と結びつき稲荷大明神が奉信されておりましたが、明治十六年にこの地は聖武天皇皇太子の那富山御陵墓と決定されることとなり、宮内省より堺県知事を通じ稲荷神社の移転が要請され結果として常陸神社の境内隣地が、清浄の地として社の移転先となり、ここに遷祀されたもので、以来百二十有余年、今日に至っております。御祭神の豊受大神は食物の神、農業神としてだけでなく人間の生活にとって根源的な役割を司る神様として、その広大無辺な御紳徳を慕われて、その信仰が広がり殖産興業、開運招福、火防の守護神として多くの人々に最も身近な神様として崇敬されております。
 平成十六年一月吉日     法蓮稲荷講
境内社
境内社

稲荷神社が境内に数カ所鎮座している
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