中院・内院


辛榊神社

奈良市横井町の穴栗神社を勧請された

中門の前に並んでいます
御祭神 表筒男命
中筒男命
底筒男命
御神徳
住吉明神様である。
和歌の神様、お祓いの神様として崇敬が絶えない。


大杉の前に鎮座

中門

大杉

中門
御祭神 級長津彦命 (しなつひこのみこと)
級長津姫命 (しなつひめのみこと
御神徳
風神様で息を司られることから生命の神、また当社ではお祓いの神様、そして祈願を取り次がれる神様である。
そばにある七種寄木は神風がいろいろの種を運んでこられたと伝えられた。「やどる」という意から子授けの信仰が篤い
-立て札より-

御祭神 角振大神 (つのふりのおかみ)
御神徳
勇猛果敢な大宮の脊属神に坐し、天魔退散振災の神様である。
-立て札より-

御祭神 伊弉諾命 (いざなぎのみこと)
御神徳
生き物の生成。生命の根元をつかさどる神様で延命長寿の信仰が篤い
-立て札より-
延命長寿の神様
春日大社末社 多賀神社
鎌倉時代、東大寺中興の祖俊乗坊重源は、齢八十の砌、東大寺の再建に当たる事となり、神明の擁護なくしては成功を期しがたいと、伊勢神宮にて一七箇日の祈祷を勤仕し、すると大神様の示現ましまし、壽命を祈願するならば、近江の多賀社に参詣し祈願を凝らせとの神教を受け重源早速神前に赴き額づきて祈願を篭めた。その時神殿より一片の木の葉が舞い来て面前に止まったので、何心なく取り見ると、虫食いのような格好で「筵」という文字の出ているに気付いた。「筵」は「廿延」と書き、今の八十歳より更に二十歳の壽命を授け給う神意であろうと篤く拝謝した。お陰を以て再建の大事業も成功し、再度報謝の参詣を果たし、後社内の壽命石に坐して眠るが如くに遷化した。時に百有余歳であった。
以上は延命長寿の神様の霊験に関する最古の事例として近江多賀社に伝承される。
-立て札より-


旧社格 式内社
春日大社 摂社
後祭神 猿田彦命 (さるたひこのみこと)
由 緒
春日の地主の神として尊崇され、本社御鎮座後一時安部山(現奈良県桜井市)にお遷りになったが丞平五年(935)再びこの場所へ御帰座になった。
御紳徳
寿命を守り給う神として信仰され安永四年には宮中より御祈祷を願い出られた。又同時に導きの神、道開きの神として人生の岐路に御守護を願う人が多い。
境内の立札より

春日大社回廊内南西隅に鎮座。祭神は長承注進状に「巨勢津姫神」とみえるが文録二年(1593)の春日御社記録(無窮会紳習文庫)は「榎本、巨勢姫明神、天上天下間八達神(やちまたのかみ)ニテ御座、鼻長ク衛神、塩土翁、猿田彦とされる。長承注進状に「外院御宝殿之坤角坐字榎本明神(所謂巨勢津姫神是也)」とある。「春夜神記」が鹿島神が神護景雲二年(768)正月九日阿部山(現奈良県桜井市)に移座の後のこととして記す記事によれば、古く春日山の地主紳であったことが知られ、「延喜式」神名帳の添上郡「春日神社」とする説がある。「皇代記断簡」に、応徳元年(1084)四月十一日「新院権僧正御童子乙丸与松揚房永覚下法師教元、榎本明神前為乙丸切殺教元、自紳祇官使下付縁者晴祓」とあるのが当社の初見である。鎌倉時代の春日宮曼荼羅図(根都美術館蔵)も瑞垣の一部に榎本社とみられる春日造の小祠を描くから、かなり古くから当地に祀られていたと考えられる。文政五年(1822)一月、禁裏御所・仙洞御所の恒例の月次御祈祷が榎本社で行われた。
-寺院神社大辞典より-


参道

南門横からの景観

回廊の端の階段部が榎本神社です

南門方向を見たところです

鳥居

回廊の壁面と一緒です

本殿

回廊の中に見事に収まっています

拝み所

末社立て札

奥に本殿が

回廊と吊燈籠

回廊と吊燈籠

直会殿と西回廊

捻廊
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