嶋田神社 しまだじんじゃ | |||
旧社格 指定村社・式内社 | |||
所在地 | 奈良県奈良市八島町今里325 | ||
御祭神 | 御祭神 | 神八井耳命 (かみはちいみみのみこと) | |
崇道天皇 (すどうてんのう) | |||
末社祭神 | 天児屋根命 (あめのこやねのみこと) | 春日神社 | |
ワニ下大神 | |||
天照皇大神 (あまてらすすめらおおかみ) | |||
金神 (こんじん) | |||
由 緒 | 近鉄奈良駅から山村行きバスで八島町下車約六百メートルのところに鎮座。 式内の当社は、神武天皇の皇子神八井耳命と、光仁天皇の皇子早良親王の追尊名である崇道天皇を祀る。『新撰性氏録』に成務天皇の代、命の後裔の仲臣子上が尾張国島田の悪紳を平らげた功により、島田臣を賜ったとあるので、神社名となったのではないか。当社三百メートル西に崇道天皇八島陵があり、江戸時代はこの社も陵上に祀られ、この地方の氏神としていたが、明治二十年ごろ陵を整備、当社は現在地に遷座したという。石灯籠方柱に「奉寄進八嶋天王御宝前 寛永十七年庚辰十一月吉日」などの刻銘がある。 早良親王は天応元年(781)皇太子になられたが、延暦四年(785)の藤原種継暗殺にくみしたとして廃され、乙訓寺に禁固されたが後、十余日飲食を断ち淡路島に配流される途中逝去された。屍は淡路に送って葬られたが、その霊が祟をなしたというので、同十六年僧二人を淡路に遣わして親王の霊に陳謝、同十九年崇道天皇を追号、その御墓も山稜として整備された。『帝王編年記』によると、延暦十九年七月「大和国八嶋寺」に遺骨を奉納したとあり、『類聚国史』には同二十四年四月に改葬司を任じたとある。 -奈良県史(神社)より- | ||
南側の道からの社殿 | |||
境内 広場から拝殿越しに本殿 | |||
本殿 (奈良市指定文化財) | |||
奈良市指定文化財の立札 | |||
境内社(春日神社) | |||
本殿横の境内社 | |||
狛犬 |