添御縣坐神社(三雄)
そうのみあがたにいますじんじゃ(みつがらす)

旧社格 指定村社・式内大社
所在地
奈良県奈良市三雄三丁目

御祭神 主祭神 建速須佐之男命(たけはやすさのうのみこと)
櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)
武乳速命(たけちはやのみこと)
末社祭神 火産霊神(ほむすびのかみ) 愛宕社
大国主命(おおくにぬしのみこと) 福神社
八重事代主命(やえことしろぬしのみこと) 蛭子神社
大国主命(おおくにぬしのみこと) 天香久山神社
福磨の従者(ふくまのじゅうしゃ) 九人神社
豊玉彦命(とよたまひこのみこと) 竜王神社
由 緒
富雄川の東部小丘陵にある。旧村社。祭神は武乳速命・建速須佐男命・櫛稲田姫命 。『大和志』に『添御県坐神社、大月次新嘗、貞観元年正月授従五位上、在三碓村今称天王』とある。同名の神社が現奈良市歌姫町にもあり、祭神も同じ。『大和志』、度会延経の『神名帳考証』などは当社をもって『延喜式』神名帳の添下郡『添御県坐神社』とし、『大和志料』は歌姫説をとる。『神名帳考証』によると、当社は『添田天神』とも称したというが、江戸時代の宮座文書、鳥居・灯籠・手水鉢の銘などから牛頭天王社であったことがわかる。現生駒市上町の伊弉諾神社が上鳥見荘、現奈良市石木町の登弥神社が下鳥見荘の鎮守といわれ、当社は中鳥見荘の鎮守で宮座は村落共同体の名かで重要な位置を占めた。宮座には八座の村座と、それを支配する井司座がある。井司座は明徳五年(1394)以前の成立と伝え、享保十四年(1729)の井司由緒記(大神家文書)が残る。井司とは井手司で、用水の分配及び管理をつかさどった。もとは年長順であったが、家筋が固定して世襲となり、現在は一家だけで井手の運営とも関係ない。当社北隣に別当寺の真福寺があったが、寛政三年(1791)にはすでに無住とあった(富雄町史)。しかし井司由緒記によると、座入りには真福寺別当も立会い、牛頭天王御行・薬師御行などは社寺一体となって執行された。
例祭は10月13日。近年までダンジキ(檀尻の義)という太鼓台が練り回った。本殿は五間社流造・檜皮葺で、室町時代の手法を示し、国指定重要文化財。昭和40年(1965)の解体修理の際、相の間の羽目板から永徳三年(1383)の墨書が発見され、永正3年(1513)・寛文5年(1665)・文政3年(1820)に修理されたことが明らかになった。なお西隣にある根聖院(真言律宗)はもと当社の別当寺で、本堂は天明五年(1785)の再建。真福寺の後身とも考えられる。
     -寺院神社大辞典より-


国道脇の社標

一の鳥居

ここから随分ありました

参道の両側に地蔵尊


この上が境内

左側に参拝者用の駐車場がありました。

境内

拝殿をみる

拝殿からの本殿

拝殿に奉納された絵馬

社殿の様子が描かれているようです

境内社

本殿

覆い屋であまりよく見えません。

本殿前の石燈籠

天之香久山神社

境内から少し離れた所に鎮座
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