手向山八幡宮
たむけやまはちまんぐう

旧社格 指定間社・国史見在社
所在地
奈良市雑司町手向山434

御祭神 主祭神 応神天皇 (おうじんてんのう)
比売大神 (ひめおおかみ)
仲哀天皇 (ちゅうあいてんのう)
神功皇后 (じんぐうこうごう)
摂社祭神 仁徳天皇 (にんとくてんのう) 若宮殿
武内宿禰 (たけのうちすくね) 武内社
大伴健将 (おおともけんしょう) 高良神社
住吉三柱神 (すみよしみはしらのかみ) 住吉神社
菟道雅朗子 (うじのわきいらつこ) 若殿神社
末社祭神 応神天皇 (おうじんてんのう) 松童神社
瀬織津媛命 (せおりつひめのみこと) 鑰取神社
素盞鳴命 (すさのおのみこと) 剣神社
大己貴命 (おおなむちのみこと) 坂本神社
天照大神 (あまてらすおおみかみ) 八子神社
白山比売神 (しらやまひめのかみ) 白山神社
蛭子神 (ひるこのかみ) 恵比須神社
豊玉姫・玉依姫 (とよたまひめ・たまよりひめ) 明武神社
由 緒
手向山八幡宮は749年(天平勝宝元年)東大寺大仏殿建立のため、九州の豊前国(現在の大分県)宇佐八幡宮より東大寺守護の神として迎えられた。明治維新まで東大寺八幡宮と称していたが、神仏分離令により、地名を取り手向山八幡宮と称するようになった。
最初は梨原宮の南に遷座、のち大仏殿の近くの鏡池(八幡池)の東方に遷座。鎌倉時代の1250年(建長二年)に北条時頼によって現在地に遷座した。現在地は東大寺千手院(せんじゅいん)跡といわれている。


一の鳥居

大仏殿前の東側

途中の社

参道の左側に鎮座

拝殿

摂社 武内社

左側の神社本殿があまりに大きいので小さく見えるが一間社の立派な社です

本殿(神殿)

若宮殿本殿

仁徳天皇を祀っている
左右に摂社

菅公腰掛の石

百人一首にある
「この度は 幣もとりあえず手向山 紅葉のにしき 神のまにまに」
菅原道真公の詠まれた詩で、このとき腰掛けた石との伝承。


東照宮社殿

東大寺にあった社殿

神楽所の壁画

頼光の鬼退治の絵(源頼光は平安後期の武将)

若宮殿拝殿

神楽所

少し傷んできているが、古い社殿らしく趣のある感じです。正面は、若宮の拝殿です

楼門と廻廊

ここが正面なのだろう

二の鳥居

正面が八幡宮の社殿

鳥居

若草山からの参道
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