登彌神社 とみじんじゃ | |||
旧社格 指定県社・式内社 | |||
御鎮座 | 奈良県奈良市石木町648-1 | ||
御祭神 | 主祭神 | 高皇産霊神 (たかみすみのかみ) | 東本殿 |
誉田別命 (ほんだわけのみこと) | |||
神皇産霊神 (かみむすびのかみ) | 西本殿 | ||
登美饒速日命 (とみのにぎはやひのみこと) | |||
天児屋根命 (あめのこやねのみこと) | |||
摂社祭神 | 大日霎命(織物の神) | 豊穂神社 | |
豊受比売神(食物の神) | |||
天宇受女神(芸能の神) | |||
大山祇神(山の神) | 荒神神社 | ||
庭高津日神(庭園の神) | |||
大物主神(酒の神) | 山室神社 | ||
菅原道真公(学問の神) | |||
猿田彦神(旅行安全の神) | 比良田神社 | ||
大己貴神(家内安全の神) | |||
八重事代主神(誓約の神) | |||
瀬織津比売神(祓の神) | 祓殿社 | ||
速秋津比売神(祓の神) | |||
気吹戸神(祓の神) | |||
速佐須良比売神(祓の神) | |||
表筒男神(禊の神) | |||
中筒男神(禊の神) | |||
底筒男神(禊の神) | |||
御由緒 | 登彌神社は延喜式の式内社であり、古くより木嶋大明神、また鳥見明神と称され親しまれてきました。 神武天皇の大和地方平定に功績のあった饒速日命の子孫である登美連が、ゆかりのこの地に先祖と天地地祇を祀ったのが当社のご創建であります。この地方には豪族長髄彦が饒速日命を奉じて勢力を振るい、そのため東征途上の神倭伊波礼毘古(後の神武天皇)は大変苦戦されました。しかし、奇しくも瑞鳥金鵄の出現と饒速日命の忠誠によって長髄彦を征討し、大和平定の大業を完遂されたのです。やがて天皇は、紀元四年春二月二十三日、鳥見山中の霊畤によって皇祖天神を祭祀し、神恩感謝の御祭りを斎行されました(日本書紀による)が、その場所が当地であったといわれております。 また、神護慶雲二年(704年)、枚岡明神が春日に遷幸されるおり、暫し当地にお休みになられたご縁で、和銅年間に春日大明神を勧請したと記録にあることから、奈良町のかなり以前から既に創建されていたと考えられます。 昭和十四年(1939年)ご由緒の故を以って県社に列格されています。 戦後は、神社の国家管理を離れ、神社本庁に所属する宗教法人登彌神社として現在に至っています。 | ||
御神徳 | 造化の神であられる高皇産霊神、神皇産霊神のニ神は、天地万物の生成化育、つまり結びの働きを司る神であります。誉田別命は八幡の神で武士に信仰の篤い武神、春日の神の天児屋根命は文物知育の神で、饒速日命はやはり武神で、物部氏の祖として崇められています。 | ||
神社入口 例大祭の朝 | |||
由緒の石碑 | |||
参道 | |||
社殿 | |||
奈良市指定文化財 登彌神社の粥占い 昭和五十七年三月一日 この神社の粥占いの行事は、農作物の一年間の出来具合いを粥で占う行事である。古くは毎年小正月に行われていたが、現在は二月一日に行われている。 いまでも毎年交替制の氏子が中心になって未明から始められるなど、極めて質素な形を残していて貴重である。 奈良市教育委員会 | |||
狛犬と石灯篭 | |||
狛犬と石灯篭 | |||
本殿左側境内社 比良田神社(左) 荒神神社(右) | |||
本殿 | |||
本殿右側境内社 豊穂神社(左)山室神社(中)祓殿社(右) | |||
拝殿 子供神輿が飾られていた | |||
本殿 | |||