日根神社
ひねじんじゃ

旧社格 府社・式内社・和泉五社の一
所在地
大阪府泉佐野市日根野631-1

御祭神 主祭神 鵜葺草葺不合命 (うがやふきあへずのみこと)
玉依毘売命 (たまよりひめのみこと)
相祭神 五瀬命 (いつせのみこと) 四王子
稲冰命 (いなひのみこと)
御毛沼命 (みけぬのみこと)
若御毛沼命 (わかみけぬのみこと) 『神武天皇』
億斯富使主 (おしふみのおみ) 『日根造の祖で新羅より渡来』
摂社祭神 素盞鳴尊 (すさのおのみこと) 比賣神社
大日霊貴尊 (おおひるめむちのみこと)
末社祭神 事代主命 (ことしろぬしのみこと) 野口恵比須神社
菅原道真公 (すがわらみちざねこう) 新道宮
素盞鳴尊 (すさのおのみこと) 岡前神社
丹生都比売命 (にうつひめのみこと) 赤之宮
丹生都比売命 (にうつひめのみこと) 野々宮神社(丹生神社)
由 緒
創建のいわれ
日根神社は大井関大明神と称して、延喜式や国内神名帳にも名が出ている古い神社です。神社の創建にはいくつかの伝承があります。
⑴神日本磐余彦(神武天皇)が紀伊熊野から大和に入る途中、日根野の地に神を祭り戦勝を祈願したのがこの神社の始まりとします。
⑵神宮皇后が朝鮮との戦いの帰途、岡本の船岡山に上陸し、皇后に助力し共に帰ってきた神を祭ったのが溝口大名神(比賣神社のこと。現在は日根神社摂社)で、この神社が日根神社の始まりといわれています。
⑶樫井川流域を開発した日根造は、新羅からの渡来人の子孫で、「紳祇志料」にはこの日根造が日根神社の主神として祖先の億斯富使主を祭ったとされています。慶長七年の日根神社縁起由来には「当社大名神ハ古三韓新羅国修明正覚王一天四海之御太子ニテ」とあり、この説をとっています。
⑷天武天皇の時代に大鳥神社より分霊を勧請し神殿を造ったのが始まりといわれています。
     -神社由緒略記より-


参道

非常に長い参道がまっすぐに続いています。

一の鳥居

両側は桜並木です。
花見時や例祭のときには、両側に屋台が並ぶのかなと思い、昔は、相当に賑っていたのではないかと思います。

二の鳥居

鳥居を入れば右側に摂社比賣神社等の鎮座する処です。周辺の神社を此処に移し祀っているそうです。

鳥居の扁額

神門

この手前に社務所と比賣神社等を祀る摂社・末社を集合した所があります。

神門横の案内板

拝殿

拝殿に向かって左側に神宮寺だった慈眼院があり、国宝の多宝塔が見えます。

拝殿

本殿(大阪府指定文化財)

慶長五年(1600年)の改築
春日造の檜皮葺で、正面の向拝を唐破風にし、彫刻を付け極彩色を施し、豪華絢爛な桃山時代らしい様式

本殿

本殿の彫刻

本殿屋根
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