生国魂神社
いくくにたまじんじゃ

旧社格 官幣大社・式内名神大社
所在地
大阪府大阪市天王寺区生玉町13-9

御祭神 主祭神 生島大神 (いくしまのおおかみ)
足島大神 (たるしまのおおかみ)
相祭神 大物主大神 (おおものぬしのおおかみ)
末社祭神 天照大御神 (あまてらすおおみかみ) 皇大神宮
住吉大神 (すみよしのおおかみ) 住吉神社
菅原道真 (すがわらみちざね) 天満宮
大宮売神 (おおみやめのかみ) 鴫野神社
市寸島比売命 (いちきしまひめのみこと)
淀姫神 (よどひめのかみ)
魂依比咩 (たまよりひめ) 城方角八幡宮
気長足媛 (おきながたらしひめ)
誉田別尊 (ほんだわけのみこと)
手置帆負神 (たおきほおひのかみ) 家造租神社
彦狭知神 (ひこさちのかみ)
近松門左衛門 (ちかまつもんざえもん) 文楽の先賢 浄瑠璃神社
天目一箇神 (あめのまひとつのかみ) 鞴神社
香具土神 (かぐつちのかみ)
石凝抒神 (いしこりどめのかみ)
事代主神 (ことしろぬしのかみ) 精鎮社
比咩大神 (ひめおおかみ)
  源九郎稲荷神社
稲荷神社
由 緒
社伝によれば、神武天皇が九州より難波津にお着きになった際、現在の大阪城付近(のちの石山崎)に、生島大神・足島大神を祀られたのが当社の創祀と伝えられています。そののち、相殿紳として大物主大神をお祀りされています。当社についての初見は、『日本書紀』孝徳天皇(七世紀中頃)に「生国魂社」と記されており、平安時代の『延喜式』には、『難波坐生國咲國魂神社』ニ座と記され、御祭神は特別に生島巫によって祀られるなど、国家の祭祀(八十島祭)の社として知られています。中世では当社に隣接して「石山本願寺」が建てられ、そして天正十一年(1583)に豊臣秀吉公が大阪城築城のため、社領を寄進し社殿を造営し、同十三年(1585)に現在の鎮座地に遷されたと伝えられています。そののちも豊臣・徳川と時代の変遷はありましたが、両家の保護のもとに神域は守られ、いらい「難波大社」の尊称をもって広く朝野の信仰を集め、明治には官幣大社に列せられるなど、国土の守護神・大阪の総鎮守として人々に崇敬されています。
     -神社略記より-


参道

国道から少し入ったところですが、車が所狭しと駐車しています。

神社正面

社殿

第二次大戦の戦火で焼失し昭和31年再建の社殿

本殿屋根
 
末社

広場からの本殿

住吉社・天満宮

皇大神宮

境内

末社への参道

境内末社

城方向八幡宮
(きたむきはちまんぐう)

方除・厄除・勝運の神

鞴 神社
(ふいごじんじゃ)

御祭神
天目一筒神 (あめのめひとつのかみ)
石凝杼売神(いしこめどめのかみ)
香具土神 (かぐつちのかみ)

例祭日  十一月八日

御神徳
鞴とは火おこしの道具のこと、鍛冶の神で、製鉄、製鋼、鋳金また機械工具等を商う金物業界の守護神として篤く崇敬されています。
-案内板より-

家造祖神社
 (やづくりみおやじんじゃ)

建築の守護神

浄瑠璃神社
(じょうるりじんじゃ)

御祭神 近松門左衛門を始めとした文楽の先賢を祀る
例祭日 春分・秋分の日
御由緒
御鎮座の年は不詳であるが、記録によれば明治九年に竹本春太夫・鶴沢清七等と共に、三業(太夫・三味線・人形)の先師三十八柱の御霊を生国魂神社の境内に社殿を整え合祀したのが始まりである。
爾来、この浄瑠璃神社で毎年春秋の二季に例祭を斎行し、物故された方々を合祀する。
文楽の道の御祖神として文楽関係者はもとより、広く日本舞踊や琴など諸芸上達の守護神として篤い信仰がある。
因みに「曽根崎心中ー生玉社の段ー」は、生国魂神社境内が舞台である。
-案内板より-

巳さんの御神木

精鎮社 (せいちんしゃ)

商売繁盛・水産業繁栄・
太公望の神
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