生根神社 いくねじんじゃ | |||
郷社・式内社 | |||
所在地 | 大阪府大阪市住吉区住吉二丁目三番十五号 | ||
御祭神 | 主祭神 | 少彦名命 (すくなひこなのみこと) | |
末社祭神 | 八衢彦神 (やちはたひこのかみ) | 塞神社 | |
八衢媛神 (やちはたひめのかみ) | |||
菅原道真 (すがわらみちざね) | 天満宮 | ||
彦竜神 (ひこりゅうじん) | 竜王社 | ||
姫竜神 (ひめりゅうじん) | |||
保食神 (うけもちのかみ) | |||
不明 | 稲荷社 | ||
宇賀奇鬼神 (うがくしきしん) | 種貸神社 | ||
由 緒 | 当社の御創立は不祥なるも住吉大社が当地に御鎮座の以前より奉仕せられて居り(日本書紀では1900年前)延喜式の神名帳(約1300年前に制定)においても当時の式内官幣大社に列し年四度の官幣に預るとあり。古来有名大社であった文献も多く残っている。特に豊臣時代には淀君の崇敬社にて片桐東市正勝元が奉行して現存の御本殿が寄進されている。(現大阪府重文・文部省重文申請中)徳川時代においても徳川綱吉将軍が修理を奉幣している。(住吉大社造営記)古来住吉郷の郷社だったが、徳川時代に神宮寺と倶に住吉大社の管理下に入り、後明治五年元の如く(住吉郷・現住吉区全体)の郷社に戻り、現在においては左記の氏子区域の氏神様として多くの参拝がある。 又別名「奥の天神」名は住吉大社の奥の天満宮を称したとも云われ、一節には沖の天津神(少彦名命)から出た名称(算博士の説)とも云われておる。 更に古伝によれば少彦名命は造酒の租神であるため、神宮皇后も当社で酒を造り住吉三神に献ぜられたとあり、「酒祝の歌」というのが後世まで残って居て当社では春の淡路祭を甘酒祭りと称して郷土の人々が親しんで来ているのもその一つの実証と思考される。もともと薬の租紳である関係上、古来住吉の淡路明神との別名のもとに信仰者多く、現在においても四月第一日曜に淡路祭を行っている。 -神社由緒略記より- | ||
神社入り口 この参道は、大海神社北門に続いている。この間数百メートルしかない。 | |||
稲荷社 門を入ってすぐ左側 | |||
稲荷社前からの拝殿 奥に境内社が並んでいます。 | |||
稲荷社 額に「天浄稲荷大神」とある。太平洋戦争後、手塚山地域より移築された | |||
もちの木 樹齢五百年以上とのこと | |||
本殿 大阪府重要文化財 | |||
本殿 大阪府重要文化財 | |||
天満宮 本殿の左側です。 | |||
天満宮本殿 徳川時代には『紅梅殿』と称され、(住吉名所図会)一間社流造で現在の建物は江戸時代後期の建造物である。殿内には御祭神菅原道真公の御本像が安置され、文明十四年(室町時代)天台法主融円律師作の在銘の国宝級の御神体を安置している。 | |||
竜王社 御祭神 彦竜神・姫竜神・保食神 住吉村龍王より移築 | |||
寒神社 (さやりじんじゃ) 御祭神 八衛彦神・八衛姫神 明治時代に中在家(粉浜村)より移築 | |||
種貸神社・寒神社 共に明治時代に移築 | |||
神明穴立石 御本殿東側にあり、少彦名命が海外にいかれし時の浜の石をここに運び『何首鳥』と刻し(薬草名)霊石とされし時代もあり、一夜の内に和歌浦より住吉浜に来たりし妙石なりとの伝説も今は古老の人のみが知る仮設である。 |