石切劔箭神社
いしきりつるぎじんじゃ

旧社格 村社・式内社
所在地
大阪府東大阪市東石切町1丁目1-1

御祭神 主祭神 饒速日尊 (にぎはやひのみこと)
可美真手命 (うましまでのみこと)
摂社祭神 大国主大神 (おおくにぬしのおおかみ) 五社明神社
八幡大神 (はちまんおおかみ)
住吉大神 (すみよしおおかみ)
恵比須大神 (えびすおおかみ)
稲荷大神 (いなりおおかみ)
末社祭神 應ヨウ乾幸護大明神 (おうよういぬいさちもりだいみょうじん) 乾明神社
神倭磐余彦命 (かみやまといわれひこのみこと) 神武社
天水分神 (あめのみくまりのかみ) 水神社
罔象女神 (みずはのめのかみ)
由緒
本社の御鎮座は、今から七百年前、足利時代の末に兵火にかかり、社殿及び宝庫が灰と化したため明瞭ではありませんが、『延喜式神名帳』(約千八十年前)の中にすでに記載されており、又『三代実録』という書物には貞観七年(約千百四十年前)九月に、本社の社格が正六位から従五位に昇格されたことが記されています。また、天文五年(約四百六十年前)に記述されたもので、木積氏の祖先藤原行春大人の『遺書伝来記』には、神武天皇紀元二年(約二千六百六十年前)宮山に「上之社」が建てられ、崇神天皇の御代に「下之社(本社)」に可美真手命が祀られたとあります。
本社の祭祀は代々木積家が司ってきましたが、「木積」という姓は本来「穂積」といい、饒速日尊の第七代目に当る伊香色雄命がこの穂積姓を始めて名のられ、それ以来物部氏の一統として一氏族をつくり、大和を中心として八方にその部族が増大していきました。その祖先である饒速日尊、可美真手命を御祭神と仰ぎ、ここ『石切』の地に御魂代を奉祀し、本社鎮座となったのであります。木積家は代々神職として朝夕、皇室の安泰・国家の興隆・崇敬者の無事繁栄を御祈祷し、御加護をお願いしてまいりました。
     -参詣のしおりより-


参道

近鉄奈良線の「石切駅」からの参道。此処から神社までいろいろな店が続いている。


石切大仏

鳥居と拝殿

多くの人が参拝に来ている。

絵馬殿

寺院の山門かと思うような建物だが、境内案内板には絵馬殿となっている。

参道左側の亀の池

水神社

御祭神
罔象女神(みつはのめのかみ)
天水分神(あめのみくまりのかみ)

通称「亀の池」に鎮座

拝殿と大楠の木

五社明神社

御祭神

恵比須大神
大国主大神
住吉大神
稲荷大神
八幡大神

左側に神武神社

本殿

裏側から見上げるようにしか見えない。
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