泉井上神社
いずみいのうえじんじゃ

旧社格 府社・式内社
所在地
大阪府和泉市府中町6丁目2-38

御祭神 総社祭神 和泉大明神 (独化天神)
天照大日霊貴尊 (あまてらすおおひるめむちのみこと)
天忍穂耳命 (あめのおしほみみのみこと)
天瓊々杵尊 (あめのににぎのみこと)
彦火火出見命 (ひこほほでみのみこと)
鷦鷯草葺不合尊 (うがやふきあえずのみこと)
御諸別命 (みむろわけのみこと)
和泉国六十二座
本社祭神 神宮皇后 (じんぐうこうごう)
仲哀天皇 (ちゅうあいてんのう)
応神天皇従者四十五柱
(四十八神宮、水内宮又は小竹宮という)
由 緒
上古より鎮座なされ万物創造の神である独化天神は天之御中主神、高産巣日神、神産巣日神ともいい生命の守り神、招福の神として信仰されました。
神武天皇はご東征をお祈りになり、神宮皇后は仲哀天皇の御即位二年(200年)四月に行啓なさった時に急に泉ができ清い水がこんこんと湧き出したので瑞祥として喜ばれ、この水を霊泉といい、宮としておまつりなさいました。これより「和泉」の国名がつけられました。元正天皇の霊亀二年(716年)ここに和泉監を置き、この土地が国府となり、地方行政の中心地となりました。
その傍に総社を建立し、大鳥、穴師、聖、積川、日根野の神をおまつりし、御諸別命とも合せおまつりされています。和泉大社、和泉総社と呼ばれ泉州全体の氏神として崇敬され、一般の人々の信仰も厚くしばしば紳異があり、その都度、勅使の奉幣がありました。
ご社領は霊亀元年和泉諸上勅命により珍努県主倭麿の領主を世襲し、数百町の神田(土地)、神戸(人民)を領有し、左大臣橘諸兄の子諸貞より代々祭主職兼国司在庁をついで国司、勅使代、公文所、寺社を総括し、近郷を領有しました。
中世には武職をかね国府城主となり、祭りと政治を行っています。正平、明徳、天正の時代には一万石の待遇を受けました。その子孫は現在もお宮の宮司を務めています。又南町の忠臣和泉の国侍は国府城に屋敷を構え、妻子をおき、勤王の義兵の土地でもありました。ところが天正十三年豊臣秀吉により石高を減ぜられ、明治六年には境内ひろ過ぎるとして一部を残し上地されています。
     -神社パンフレットより-


鳥居と拝殿

JR和泉府中駅から県道30号線を超えてすぐの所にあります。

拝殿

境内社

石造板状塔婆

(大阪府指定有形文化財)奥に見えるほうです。南北朝時代のもので、神社南方の和泉寺跡にあったものを昭和七年ごろに移したらしい。

本社拝殿

総社本殿の屋根が少しだけどうにか見える。

総社拝殿

本社本殿
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