大願寺
だいがんじ

真言宗御室派
薩埵山成就院 大願寺
所在地
奈良県宇陀市大宇陀区捨生

御本尊 十一面観音菩薩
由 緒
大願寺の沿革
当山は薩埵山・成就院・大願寺と號し、真言宗御室派仁和寺末で、寺の創建は推古時代(約1400年前)で聖徳太子が蘇我馬子に命じて建立させたと伝えられている。
ご本尊十一面観音菩薩は、弘仁式で弘法大師作又は徳道上人作で、その御尊前に長谷寺建立、大蔵寺建立の大願を誓われたと伝えられ、後観音様は火災に逢うも焼けずに発見されたので「焼けずの観音』で、『災難除け』の観音様として信仰されている。
大願寺は歴代城主である織田信長のニ男信雄(ノブカツ)より松山城主高長、長頼、信武公に亘り、信仰厚く当寺で諸祈願されたと古文書に記載されている。
毘沙門堂は、室生の大杉一本で建立され、毘沙門天は長頼公が鞍馬毘沙門天と同作の毘沙門天を勧請し祀られた。
白山権現社は、長頼公が、延宝二年に氏神である加賀の国(石川県)の白山神社にお参りするのが遠いので、当大願寺に勧請し織田家歴代の氏神として祀られた。
稲荷社は末廣大明神 延宝年間の創立である。
仏足跡は文化元年に森野薬草園を開いた寛郭翁の孫好徳の寄進よる、釈迦三十二相の中の五相の足で奈良県下で、この相は此処だけである。
山門の額は織田信武公の直筆である。
庚申さんは青面金剛像でお姿は戯画省略され『おちゃめ庚申』でしられ、天保十四年の作である。
筆塚は寛郭翁の孫好徳の筆塚である。
     -境内の案内板より-


参道の階段と山門

道の駅「大宇陀」よりすぐの所にあります。

本堂と阿弥陀堂

手入れの行き届いた庭が印象的です

白山権現社

山門と庭
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