墨坂神社
すみさかじんじゃ

旧社格 県社
所在地
奈良県宇陀市榛原区萩原字天野709

御祭神 主祭神 天御中主神 (あめのみなかぬしのかみ)
高皇産霊神 (たかみむすびのかみ)
神皇産霊神 (かんむすびのかみ)
伊弉那岐神 (いざなぎのかみ)
伊弉那美神 (いざなみのかみ)
大物主神  (おおものぬしのかみ)
末社祭神 瀬織津姫神 (せおりつひめのかみ) 祓戸神社
速開津姫神 (はやあきつひめのかみ)
速佐須良姫神 (はやさすらひめのかみ)
気吹戸主神 (いぶきどぬしのかみ)
天御中主神 (あめのみなかぬしのかみ) 天神社
高皇産霊神 (たかみむすびのかみ)
神皇産霊神 (かんむすびのかみ)
火産霊神 (ほむすびのかみ) 愛宕神社
市杵島姫命 (いちきしまひめのみこと) 市杵島神社
少彦名命 (すくなひこなのみこと) 恵比須神社
倉稲魂神 (うかのみたまのかみ) 稲荷神社
大山津見神 (おおやまつみのかみ) 大山祇神社
大物主命 (おおものぬしのみこと) 金刀比羅神社
品陀別命 (ほんだわけのみこと) 八幡神社
菅原道真 (すがわらみちざね) 菅原神社
由 緒
日本書紀によれば桓武天皇即位四年春鳥見山中に霊畤(マツリノニワ)を築かれ、天皇みづから皇祖天神を祭祀され「この地を上小野榛原(カミツオノハリハラ)、下小野榛原(シモツオノハリハラ)という」とある。その下小野榛原が即ち墨坂の地である。現在は西峠地区内にあるが、神武天皇の軍が大和菟田に入られた時この墨坂において賊軍が爀炭(イコリズミ)(山焼きの意)をもって防戦したため、天皇の軍は苦戦し兎田川を堰き止め消火して進軍した所でもある。
この墨坂で当時から祀られていた神々を文安六年九月(1450)に現在の下萩野字天野に遷座されたものである。天野の地は天富命の邸跡とも伝えられ明治初期まで神宮寺として遍照山薬王院天野寺が神仏混合で祀られていたため六社権現とも又天野宮とも称されていた。又新抄勅格符抄によれば天応元年十月十四日(奈良朝末期で西暦781年)「墨坂神一戸信乃」と記されており現在御分社として長野県須坂市に墨坂神社が二社あるところから天応年間には信濃にまで紳領があった大社であったことがうかがわれる。昭和五十六年の式年御造営に当り境内地拡張のため本殿を旧地から南七間の地に遷座された。
    -神社略記より-


鳥居

旧伊勢本街道(国道369)からの宇陀川沿いの参道

祓戸神社

祭神 瀬織津姫神
速開都姫神
気吹戸主神
速佐須良姫神

三の鳥居

境内の社殿

広い境内の端に社務所があります。

社務所横からの竜王宮への参道

神牛

拝殿

本殿(春日造)

創建年代は不詳であるが、元治元年(1864)御造営に際し奈良の春日大社の旧本殿を拝領のうえ建造し、当社旧本殿はその時楼門の材として使用されたものである。

拝殿

境内末社

拝殿の右側に鎮座
天神社
市杵島神社
菅原神社
恵比須神社
金比羅神社
愛宕神社
稲荷神社
八幡神社

大山祇神社

祭神 大山津見神

境内右端に鎮座昭和五十六年二月境外地石山から合祀した。

神輿
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