宇太水分神社(中社)
うたみくまりじんじゃ

旧社格 郷社・式内大社
所在地
奈良県宇陀市菟田野区古市場245

御祭神 主祭神 天水分神 (あめのみくまりのかみ)
速秋津彦神 (はやあきつひこのかみ)
国水分神 (くにのみくまりのかみ)
摂社祭神 天児屋根命 (あめのこやねのみこと) 春日神社
市杵島比売命 (いちきしまひめのみこと) 宗像神社
末社祭神 蛭子之大神 (ひるこのおおかみ) 恵比須神社
事代主大神 (ことしろぬしのかみ)
大物主命 (おおものぬしのみこと) 金刀比羅神社
由緒
芳野川東岸に鎮座。旧県社。「延喜式」神名帳の宇陀郡に『宇太水分神社』とあるが、同郡内には当社のほかに現菟田野町上芳野に惣社水分神社、現大宇陀町平尾に水分神社、現榛原町下井足に宇太水分神社、現室生村下田口に水分神社が鎮座する。また現菟田野町見田の春日神社鎮座地を水分山という。式内宇太水分神社は大和四水分神の一で(延喜式)、大同元年(806)には大和国に紳封一戸を寄せられ(新抄格勅符抄)、承和七年(840)10 月7日に従五位下(続日本後紀)、天安三年(859)1月27日に正五位下となり(三代実録)、同年(貞観元年)9月8日に風雨祈願のための奉幣を受けている(同書)。永禄三年(1560)書写の玉岡水分縁起(大和志料)によると、当社は玉岡水分神社とも称し、玉岡水分明神は水門神速秋津彦神(みなとのかみはやあきつひこのかみ) の第五子で、垂仁天皇の時代に伊勢神宮の神職玉造村尾が信託に任せて御裳濯川の水を分けて水分神体とし、大和の宇陀郡に社殿を構えて当社を本社と定め、井谷(井足)と中山(上芳野)の社を摂社、田口(下田口)と平尾の社を末社としたという。また当社には天水分神、井谷には国水分神、上芳野には若水分神を祀ったのではないかと記され、これら宇陀郡の水分神は古く何らかの関連があったとみられる。正応五年(1292)の作と推定される当社が所蔵する宇太水分神社古図(寛文八年 転写)は、現榛原町栗谷ー石田間の「三住児石」と、「檜生野」(現同町比布)-「河合」(現同町高塚付近)間の「尾崎一杉」とを結ぶ東西線を画して、北29郷を下水分宮(下井足の宇太水分神社)領、南41郷を上水分宮(当社)領とするので、当時すでに上下に分かれていたことがわかる。室町時代の宇陀郡田地帳案(春日大社文書)にも、井足下・西殿両荘にそれぞれ水分宮領がある。鎌倉時代以降、鎮座地一帯は奈良春日社領西殿荘で、室町頃には同荘定田27町6反、分米136石のうち1町8反が当社領となっていた(宇陀郡田地帳案)。
     -寺院神社大辞典より-

社殿
社殿
本殿(国宝)
本殿(国宝)

大杉と拝殿
大杉と拝殿
境内
境内
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