八咫烏神社
やたがらすじんじゃ
おとごろすじんじゃ(奈良県史)

旧社格 県社・式内大社
所在地
奈良県宇陀市榛原区高塚42

御祭神 主祭神 建角身神 (たけつぬみのかみ)
末社祭神 伊弉諾命 (いざなぎのみこと) 白山神社
市杵島姫命 (いちきしまひめのみこと) 市杵島神社
天児屋根命 (あめのこやねのみこと) 春日神社
天手力男命 (あめのたじからおのみこと) 戸隠神社
品陀別命 (ほんだわけのみこと) 八幡神社
不詳  六柱神社
由 緒
武角身命(建角身命)を祭神とする八咫烏神社は、「続日本紀」に慶雲2年(705年)9月、八咫烏の社を大倭国宇太郡いて祭らせたことがみえ、これが当社の創祀となっています。
江戸時代(文政年間・1818~1830)には、これまで石神殿であったものが春日造りの社殿となりました。
その後、紀元二千六百年を記念して社域を拡張・整備し、現在に至っています。
「古事記」、「日本書紀」によると神武天皇が熊野から大和へと入ろうとしたときに道案内し、重要な役割をつとめたの八咫烏(武角身命の化身)です。
八咫烏は、中国の陽鳥としての考え方が影響しているようです。
八咫烏伝承は、もともと宇陀の在地氏族に伝承されていたと思われますが、8世紀以降、山城の賀茂県主が有力となってからは、賀茂氏が祖とする武角身命が八咫烏となったようです。
     -境内の案内板より-

神社入口
神社入口
社務所前から
社務所前から

右上に本殿が見えます
拝殿
拝殿
本殿
拝殿から見た本殿
本殿
本殿
本殿前の石灯篭
本殿前の石灯篭
拝殿の横に八咫烏
拝殿の横に八咫烏

歌碑

石碑

境内に多くの石碑があります

石碑
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