十二柱神社
じゅうにはしらじんじゃ

旧社格 指定村社
所在地
奈良県桜井市出雲650

御祭神 神世七代の神
国常立神 (くにとこたちのかみ)
国狭槌神 (くにのさづちのかみ)
豊斟淳神(とよむくのかみ)
泥土煮・沙土煮神 (うじに・すじにのかみ)
大戸之道・大苫辺神 (おおとのじ・おおとまべのかみ)
伊邪諾・伊邪冊神 (いざなぎ・いざなみのかみ)
面足・惶根神 (おもたり・かしこねのかみ)
地神五代の神 天照大神 (あまてらすおおみかみ)
天忍穂耳尊 (あめのおしほみみのみこと)
瓊瓊杵尊 (ににぎのみこと)
彦火日出見尊 (ひこほほでみのみこと)
彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊 (ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)
末社祭神 大物主命(おおものぬしのみこと) 金刀比羅神社
市杵島姫命(いちきしまひめのみこと) 厳島社
火産霊命(ほむすびのみこと) 愛宕社
金山彦命(かなやまひこのみこと) 金山彦社
泊瀬稚鷦鷯命(はつせのわかさざきのみこと) 武烈天皇社
稲倉魂神(うがのみたまのかみ) 天光稲荷社
由 緒
出雲集落のほぼ中央に鎮座する旧指定村社で、国常立命・天紳七代・地紳五代の神を祀る。本殿は朱塗、春日造、桧皮葺。境内社は、金刀比羅・厳島・愛宕・金山彦・武烈天皇・天光稲荷社である。  石灯籠で古いのは境内東側の「奉造立十二柱権現社 寛文元年(1661)八月吉日」銘のもので、当社入口に多田から移された野見宿禰五輪塔がある。例祭は十月二十日。天正五年(1577)九月吉日付文書(写)によると古くから頭仲間と称する宮座があったとみられる。
     -奈良県史(神社)より-


神社入口

参道からの風景

右側のこんもりとした丘に五輪塔があります。

参道の石碑

右側にあった野見宿禰顕彰会の石碑

参道からの社殿

鳥居と社殿

拝殿前に石灯籠が並びます
本殿
本殿

本殿と一段下に境内末社
境内末社
境内末社

金刀比羅神社(左側)
厳島神社(右側)
野見宿禰顕彰会の案内板
野見宿禰顕彰会の立て札

十二柱神社は「出雲ムラ」の村社。
大昔は、神殿がなく、「ダンノダイラ」(三輪山の東方1700メートルの嶺の上にあった古代 の出雲集落地)の磐座を拝んだ。明治の初めごろまで、年に一度、全村民が「ダンノダイラ」へ登って、出雲の先祖を祀り偲んだ。一日中、相撲したり、食べたりした
(出雲ムラ伝説)
西脇弥之吉氏(当時83才)より聞く。
1964年(昭和39年7月)                奈良県桜井市出雲                野見宿禰顕彰会
武烈天皇泊瀬列城宮伝承地
武烈天皇泊瀬列城宮伝承地
をはつせのわかささきのすめらみこと
 武烈天皇はヽ小泊瀬稚鷦鷯天皇とあり、仁徳天皇の大鷦鷯と対の名をもつ・これは、仁徳の皇系が武烈天皇で絶えるため、仁徳を聖帝・武烈を暴君として描くのと同じ考え方であろう。武烈があまりの悪政非道な政治をしたから、仁徳の皇系は絶えたことを記紀では強調しているが、実際のところはわからない。壇場を柏瀬列城に設けたとあり、初瀬谷の中央、出雲の地あたりかと考えられている。

武烈天皇社

野見宿禰の五輪塔
野見宿禰の五輪塔由来
野見宿禰の案内板
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