宗像神社
むなかたじんじゃ

旧社格 式内大社
所在地
奈良県桜井市外山818

御祭神 主祭神 市寸島比売命 (いちきしまひめのみこと)
多岐津比売命 (たぎつひめのみこと)
多紀理比売命 (たぎりひめのみこと)
摂社祭神 春日四柱神 春日神社
天押雲根命 (あめのおしくもねのみこと) 若宮神社
末社祭神 金山毘古命 (かなやまひこのみこと) 琴平神社
市杵島姫命 (いちきしまひめのみこと) 厳島神社
伊邪那岐命 (いざなぎのみこと) 六社神社
伊邪那美命 (いざなみのみこと)
月夜見命 (つきよみのみこと)
天照大御神 (あまてらすおおみかみ)
素盞鳴尊 (すさのおのみこと)
大己貴命 (おおなむちのみこと)
不詳 宮谷神社
不詳 大社神社
由 緒
JR桜井線桜井駅の東南約1.4Km、鳥見山北側の忍坂川を渡った山腹に鎮座する。『延喜式』神名帳に登載された式内名神大社で、祭神は多紀理毘売命・市寸嶋比売命・田寸津比売命のいわゆる宗像三紳である。創祀年代は明らかでないが、上代概に早く筑前国宗像神社の神を大和国に勧請され分祀された宮である。  天武天皇の御世に筑前から来た胸肩徳善が飛鳥浄御原宮に仕えたが、その女尼子娘が天皇の妃となり高市皇子の生母である(『日本書紀』)。『新撰姓氏禄』の左京皇別に、高階真人は天武天皇の皇子太政大臣高市主より出ずとあるが、かつて胸肩君一族が筑前から宗像三座を鳥見山字一本松に勧請した当社の祭祀や管理に預かったのがその子孫の高階真人であったとみられる。『三代実録』によると、元慶四年(880)三月二十七日当社は官社の列に加えられ、筑前の宗像神社と同神別社であると記している。同書五年十一月十六日の条に当社の神階従一位勲六等とあり、大宝令には七四町の位田を領した。吉野時代に兵火によって全焼し、宗像三紳はそれぞれ三か所に祀られた。一座は春日神社へ、外の二座は外山の玉井両家に祀られた。幕末に鈴木重胤(1812-63)がこの地にきて宗像三紳の衰微を嘆いて、村人と協力して再興に努め安政六年(1859)改めて筑前本社の神霊を迎えた。明治八年(1875)春日神社の社号を廃し宗像神社と改称した。当社の神宮寺は明治初年まで外山村大字宮の谷に不動院(真言宗)があり不動明王を本尊としたが、今分離して残っている。
     -奈良県史(神社)より-

神社由緒書
神社入口
神社入口

社殿
社殿

拝殿と本殿
拝殿
拝殿
本殿
本社

春日神社(右側)
若宮神社(左側)
境内社
宮谷神社
(鬼子母神社)
境内社
祓戸社
境内社
六社神社

伊邪那岐命
伊邪那美命
月夜見命
天照皇大神
素盞鳴尊
大己貴命
境内社 琴平神社
琴平神社
山の神
山の神
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