忍坂山口坐神社
おさかやまぐちいますじんじゃ

旧社格 指定村社・式内大社
所在地
奈良県桜井市赤尾42

御祭神 大山祇命 (おおやまつみのみこと)
由 緒
延喜式内社山口神社は、全部で十四社で、うち十三社まで県下にあります。そのうち飛鳥・石寸・長谷・畝火・耳無・そしてこの忍坂の六山口神社がもっとも大切に祀られてきました。
この神社の樟の巨樹で、二代目にあたります。初代は室町時代、金閣寺を造営するさいに、天井板を一枚張りにしたいというのでこの社の樟を伐って利用されたと伝えられています。その時倒れた先が隣村忍坂まで届いたので、いまも忍坂に「木の下」という地名が残っています。
     -立て札より-

鳥見山の東山麓、西北流する栗原川の谷間出口に鎮座する。『延喜式』神名帳に記載の大和国14山口神の一つで、忍坂山の霊を祀ったものと考えられる。祭神は大山祇命であるが、享保二十一年(1736)の『大和志』にも「在赤尾村。 今称天一神」とあるように中世以来天一神を祭神としてきたが、昭和五年十一月十五日に大山祇命を祭神と決定された。
創祀は明らかでないが、天平二年(730)の『大倭国正税帳』(『正倉院文書』)に「忍坂神戸穀捌斗耗一升五合定漆斗玖升五合」とみえ、大同元年(806)の『新抄格勅符抄』に紳封三戸を寄せられている。『三代実録』の貞観元年(859)正月二十七日に従五位下より正五位下に昇叙されている。『磯城郡誌』に応永四年(1397)足利義満が金閣寺建立の節、当古社地の楠木の大樹を伐採して天井板に使用したと記されている。現在境内北部の楠巨木はその後の植樹と伝える。
切妻造瓦葺の拝殿のみで本殿なく、『郷村社取調帳』に「以山為神」とある。『しきしま』によると「御神体ハ現存セル老杉一本ヲ崇ム」とあるが、今枯死し代りに拝殿奥北側の一画に高さ63センチメートルの磐座を立て神の依り代とされている(式内社調査報告松本俊吉氏稿)。神宮寺は当社の西南方の白雲山興善寺で毘沙門天像を本尊とするほか、薬師如来坐像を安置する。 例祭は四月十五日。
     -奈良県史(神社)より-


天井板伝記

磯城郡誌の天井板伝記の案内板


境内の石灯篭

神社の鳥居と拝殿

昔は官幣に預かり立派だったのだろうか、今は寂しい感じです。

拝殿の後方にある石

御神体の磐座

樟の巨木
inserted by FC2 system