日吉大社
ひよしたいしゃ


旧社格 官幣大社・式内名神大社
山王総本宮
所在地
滋賀県大津市坂本5丁目1番1号

御祭神 主祭神 大己貴神 (おおなむちのかみ) 西本宮
大山咋神 (おおやまくいのかみ) 東本宮
摂社祭神 田心姫神 (たごりひめのかみ) 宇佐宮
大山咋神荒魂 (おおやまくいのかみあらみたま)牛尾宮
菊理姫神 (きくりひめのかみ) 白山宮
鴨玉依姫神 (かもたまよりひめのかみ) 樹下宮
鴨玉依姫神荒魂 (かもたまよりひめのかみあらみたま) 三宮宮
由 緒
日吉大社は東西両本宮を中心に数多くの社殿が鎮座している。全国に三千八百余社の分霊社があり、その総本宮である。世にいう山王二十一社とは、上七社・中七社・下七社の総称であり、その中でも上七社は重要な位置を占めている。すなわち西本宮を筆頭に、東本宮・宇佐宮・牛尾宮・白山宮・樹下宮・三宮宮と続き、それぞれに神輿を有する。境内は、八王子山(牛尾山)を含む十三万坪で、国宝二棟(東西両本宮本殿/日吉造)、重要文化財十七棟を有す。かっては境内百八社・境外百八社といわれ境内並びに坂本の町々までもが神々の一大拠点であった。

創祀
東本宮の御祭神 大山咋神は、古事記上巻に「此の神は近淡海国の日枝山に坐す。」と記載されているように、神代の昔より比叡山に鎮座する地主神である。御神名の「クイ」というのは、山の樹木やその麓の田畑の五穀をグイグイと伸ばして育てて下さる御神徳を指したものである。その兄弟神には竃神・庭の神・玄関の神・土の神があり、その御両親の神が大年の神(稲の神)と水の神であることから五穀豊穣から家庭日常生活の守り神として広く信仰される。
一方、西本宮の御祭神 大己貴神は天智天皇七年(668年)大津京遷都にあたって、大和国三輪山(大神神社)より御神霊を御迎えし、大津京を始め国家鎮護の神として祀られた。この神は、国土を開拓・統治なされた神である。

沿革
都が平安京に遷り、京都が日本の中心となると、当社が都の表鬼門(東北)に当ることから、国民並びに都の鬼門除け更には国家の鎮護、方除け、魔除け、災難除けの祈願の社とされ、延久三年(1071)後三条天皇の行幸がなされ、以来歴代の慣例となるほどとなった。土木建築の守護神として武家の崇敬も篤く、武家が一国の城主に封ぜられると、その城及びその封ぜられた国の鎮護の神として分霊を遷し奉られた。伝教大師が比叡山に天台宗の延暦寺を建立し開宗されると、天台宗の御法神、あるいは伽藍神として仏教とも深い関係を持つに至り、「日吉山王」と称された。また、大師が中国(唐)より持ち帰られたわが国初の茶実は「日吉茶園」(京阪西坂線坂本駅隣)にて栽培され、産茶の起源となった。延暦寺の勢力が強大になるにつれ神仏習合が進み、本地垂迹説(神は仏の仮の姿として現れたとする説)により寺院のように扱われ、また朝廷への強訴の際には僧兵により神輿が担ぎ出された。
建物及び神輿は、織田信長の焼打ちによって総て灰燼に帰し、それ以後の再建であり桃山・江戸初期のものである。又、明治の神仏分離に伴う廃仏棄釈により仏教施設が除かれて、現在の景観となった。中世以前の古絵図には広い神域に根本多宝塔、彼岸所等が描かれており、当時の姿をうかがい知ることができる。

例祭日
四月十二日から十五日にわたり斎行される山王祭は、天下泰平・五穀豊穣を祈願し、山王七社の神輿が神幸する勇壮な祭りである。

社格
『延喜式』(927選)では「名神大社」とみえ、後朱雀天皇 長歴三年(1039)二十二社の一社に加えられた。二十二社とは、特に朝廷より重んじられて、国家の重大事や天変地異のあるごとに、使いを遣わされて奉幣を受ける神社のこと。明治四年に官幣大社に列格。



山王鳥居

山王神使
神猿(マサル)

当大社は、平安の都・京都御所の表鬼門にあたり、鬼門・厄魔除の守護神と崇敬されて参りました。日吉山王大神第一の使いが神猿さんです。御所の鬼門を『猿ヶ辻』と呼び魔去る(まさる)さんの木像がまつられています。人間の全ての厄魔を取り去ってくれるのが日吉の神猿さんです。家の新・改築には神猿さんを祀りましょう。

西本宮楼門

日吉大社西本宮拝殿

一棟(大津市坂本五丁目)
重要文化財 建築物
この拝殿は、方三間(桁行三間、梁間三間)、一重、入母屋造、檜皮葺、妻入りの建物です。柱間は四方とも開け放して、屋根の妻飾りは木連格子(きつれこうし)、回り縁は高欄がつき、天井は中央部が一段と高くなった折上小組格天井(おりあげこぐみごうてんじょう)となっています。
日吉大社の他の同じ形の拝殿のうちでは、一番手の込んだ構造となっており、天正14(1586)年本殿と同時に建てられたものです。
昭和39(1964)年5月に重要文化財に指定されました。
大津市教育委員会
平成4(1992)年3月

日吉大社西本宮本殿

一棟(大津市坂本五丁目)
国宝  建築物
この本殿は、桁行五間、梁間三間、日吉造、檜皮葺の建物です。日吉造は、一名を聖帝造(しょうたいづくり)ともいい、全国では、日吉大社にだけみられる特殊な構造です。つまり、三間・二間の身舎(もや)の前面、両側面の三方に廂(ひさし)がめぐらされた形で、側面や背面にその特色を見せています。また、正面には、一間の向拝と浜床をつけ、縁高欄が回りをめぐっています。
天正14(1586)年に復興されたものですが、慶長2(1597)年に改造されています。
昭和36(1961)年に国宝に指定されました。
大津市教育委員会
平成4(1992)年3月

日吉大社摂社

宇佐宮本殿  一棟   (大津市坂本五丁目)
重要文化財  建築物
この本殿は、桁行五間、梁間三間、日吉造、檜皮葺の建物です。
西本宮本殿、東本宮本殿と同じく日吉造(聖帝造)(しょうたいづくり)の典型的なもので、三間・二間の身舎(もや)の前面、両側面に一間の廂(ひさし)をめぐらし、側面や背面に特色があります。他とは、ほとんど同じですが、正面の階段前に吹寄格子(ふきよせこうし)をいれた障壁が設けてあるのが大きく異なります。また、高い床下には大きな岩が露出していて何か意味ありげなものです。
慶長3(1598)年に建てられたものです。
明治34(1901)年8月に国の重要文化財に指定されました。
大津市教育委員会
平成4(1992)年3月

日吉大社摂社

宇佐宮拝殿

日吉大社摂社

白山姫神社本殿  一棟   (大津市坂本五丁目)
重要文化財  建築物
この本殿は、三間社流造、檜皮葺の建物で、三間・二間が身舎(もや)、その前方一間通しの廂(ひさし)が前室となっています。
この本殿と樹下神社本殿とは、ほぼ同形式となっていますが、装飾金具が少なく簡素な造りで地味な落ち着いた中にも、各部の意匠に意を配った建物です。また、向拝は一間で浜床付き、前室の正面は蔀戸(しとみど)となっています。
慶長3(1598)年に建てられました。
明治39(1906)年4月に国の重要文化財に指定されました。
大津市教育委員会
平成4(1992)年3月

日吉大社摂社

白山姫神社拝殿

猿の霊石

東本宮楼門が後ろにみえています

日吉大社東本宮楼門


一棟 大津氏坂本五丁目
重要文化財  建造物
この楼門は、三間一戸楼門の形式で、入母屋造、檜皮葺の建物で、斗栱(ときょう)は上下層とも三手先となっています。三間一戸とは、柱間三つのうち中央の一つが出入り口となっているものをいい、二階造の門で、屋根が二階の部分だけにしかなく、一階の上に縁がある形式をいいます。
西本宮楼門とは、やや違った比例を持っていて、どちらかといえば一階部分が高く、二階部分が低いので、すらりとした均斉のとれた建物で、天正~文録2(1573~1593)年頃に建てられたものです。
大正12(1923)年3月に国の重要文化財に指定されました。
大津市教育委員会      平成4(1992)年3月

交差する社殿の配置

左側に樹下神社本殿、右側に拝殿があります。正面にみえるのが東本宮拝殿でその置くに本殿があります

日吉大社摂社

樹下神社拝殿  一棟   大津氏坂本五丁目
重要文化財  建造物
この拝殿は、桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、妻入り、檜皮葺の建物です。 方三間といわれる拝殿ですが、他とは、柱間が四方とも格子や格子戸となっている天が異なっています。屋根の妻飾りは木連格子(きつれこうし)、天井は小組格天井(こぐみごうてんじょう)、回り縁は高欄付きとなっていて、本殿と同じく文録4(1595)年に建てられたものです。なお、樹下神社の拝殿と本殿を結ぶ線と、東本宮の拝殿と本殿を結ぶ線が交わるのは、珍しいものです。
昭和39(1964)年5月に国の重要文化財に指定されました。
大津市教育委員会
平成4(1992)年3月

樹下神社の神輿

日吉大社摂社

樹下神社本殿  一棟   大津氏坂本五丁目
重要文化財  建造物
この本殿は、三間社流造、檜皮葺の建物で、後方三間・二間が身舎、その前方一間通しの廂が前室となっています。
数ある流造の中でも比較的大型の物で、床下が日吉造と共通した方式であることや向拝階段前に吹寄格子の障壁をたてているのは、この本殿の特色となっています。文録4(1595)年に建てられたことが墨書銘(ぼくしょめい)によってわかりますが、細部の様式も同時代の特色をよく示し、格子や破風、懸魚(げぎょ)などに打った飾り金具は豪華なものです。
明治39(1906)年4月に国の重要文化財に指定されました。
大津市教育委員会      平成4(1992)年3月

日吉大社東本宮拝殿


一棟   大津氏坂本五丁目
重要文化財  建造物
この拝殿は、本殿の前に独立する方三間(桁行三間、梁間三間)、一重、入母屋造、檜皮葺、妻入りの建物です。
四方の柱間は吹放しで屋根の妻飾(屋根の三角部分)には木連格子(きづれこうし)(縦横の細かい格子)を入れています。また廻縁には高欄がつき、天井は小組格天井(こぐみごうてんじょう)となっています。
「文録五年三月吉」の墨書がある天井の格縁が一本残されていて、1596年頃の建築であることがわかります。
昭和39(1964)年5月29日に国の指定文化財となりました。
大津市教育委員会      昭和63年2月

東本宮拝殿の天井部

日吉大社東本宮本殿

一棟(大津市坂本五丁目)
国宝  建築物
この本殿は、桁行五間、梁間三間、日吉造、檜皮葺の建物です。
日吉造は、一名を聖帝造(しょうたいづくり)といい、三間・二間の身舎(もや)の前面、両側面の三方に廂(ひさし)がめぐらされた形をし、側面、背面が特徴のあるものとなっています。この様式は、全国でも日吉大社にもに現存している形で重要なものです。
東本宮本殿は、西本宮本殿とほぼ同様の造ですが、背面の三間の床が一段高くなっているのは、異なるところです。
文録4(1595)年に西本宮本殿に引き続いて復興された日吉造の代表建築です。
昭和36(1961)年4月に国宝に指定されました。
大津市教育委員会
平成4(1992)年3月


本殿の狛犬

日吉大社東本宮本殿

背面、中央三間分が一段高くなっている

大物忌神社

大年の神(東本宮の父神)豊作の神 山王中七社の一社

龜井靈水(かめいれいすい)

昔、ここには池があり、伝教大師参拝の折、霊亀が現れた。占によりここを閼迦井(あかい)(仏様に捧げる水を汲む井戸)となし、『亀井』と名付けられた。最名水也
『日吉山王権現知新記』より
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